かづく

この紅が牡丹支ふる芽なりけり
骨格のはや逞しく牡丹の芽
骨格の片鱗はやも牡丹の芽
園丁の爪先黒し牡丹の芽
ほぐれては止まるを知らず牡丹の芽
九度山にブーム去ったり牡丹の芽
登廊の途中でかへす牡丹の芽

紅というか、深紅というか。

あの牡丹の芽である。
大きくて豪華で重い花を支えるためには体躯もしっかりとしてなければならない。そのせいか、芽もいかにも逞しく、千手観音さんのように枝をたくさんつけていて、これらを伸ばしながらぐんぐん成長していく。そのはじめの逞しい姿というのは、むしろグロテスクな印象さえ受けるほどで、これがあの大輪の女王花を咲かせるわけだから、まるで民話の「鉢かつぎ姫」の主人公みたいなものである。

鉢かつぎ姫は、子供のできない夫婦の夢に出てきた長谷観音から女の子を授けられたが、その際その子には鉢を被せるようにというお告げがあったところから物語が始まる。
その長谷観音では、あとひと月もすれば、鉢を脱いだ牡丹の盛り。牡丹は見たいが、あの人波を考えると。

ところで、「鉢かつぎ姫」は本当は「鉢かづき姫」だそうである。「かづき」は「頭にかぶる」という意味の古語「かづく」(被く)の活用だとか。