卒寿近く

刈払機腰に払うて生身魂

かくしゃくとしてなお頑健。

昼間の暑いときは家にて麦酒。そして夕方になれば律儀に菜園に日参という日課である。
盆のこの時期も早々と夏野菜の片付けを終えて、はやくも秋冬野菜の準備に畝を耕しておられる。作る畝はまるで定規で測ったように美しく、だれも真似をできない出来映えである。
ときにはむずかるエンジンをなだめすかせては畔の草を刈る。
まもなく卒寿に届こうかとは思えない達者ぶりである。

百年時代

延命措置互ひに拒み生身魂

昔は七十歳と言えば、もう立派な生身魂。

子規に、

生身魂七十と申し達者なり

という句にあるようにおそらくそれこそ「古稀」であったのだろう。
百年時代といわれるいま、爺婆そろって元気は何よりだが、おたがいに延命措置は望まぬことを話し合っている昨今である。

「連絡船の唄」

御歳を羞じらひもする生身魂
往年の喉を鍛えて生身魂

テレビを見ていたら、往年の名歌手が生出演していた。

御年92歳と紹介されて、恥ずかしそうにはにかむ姿にひととき心が和む。
今でも毎日発声練習されているとかで、あの菅原節を久しぶりに聞いた。
雀百まで踊り忘れずというが、歌い続けることで心身の健康を保ってこられたのには見習うところがあるかも知れない。