情がじゃまして

西望む挽歌の歌碑の秋の声
弟背とも背子とも詠みて秋の声

桜井市の二上山を西に望む吉備池畔にはふたつの歌碑がある。

ひとつは大津の辞世の歌とされる「もゝつたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲がくりなむ」であり、もうひとつは大伯の「うつそみの人なるわれや明日よりは二上山をいろせとわが見む」。
文武に秀で万葉に懐風藻に名を残した大津皇子の大ファンである私は、姉弟の歌碑が並び立つという事実、もうそれだけで胸が絞られるような切なさがこみあげてきて、そんな情がじゃまをしてなかなか句を授からない。

絶滅

狼像虚空に吼ゆる秋の声

今日は快晴。

家人を連れて再度深吉野へ。
一日違えば紅葉が全く違うと言うことを知った。
紅葉は曇りがちのほうがいいというのが結論。
順光はまだしも逆光は全然いけない。人間の目でも暗部がつぶれてしまって、ハイライトの部分しか見えなくなるのだ。
カメラになるとさらに顕著で、暗部を活かそうとすれば明部が飛ぶし、明部を活かせば暗部がシルエットになるだけ。風景写真として撮るときは曇りないしは順光に限るという結論を得た。
昨日書いた通り、昨日でもなく明日でもなく今日の紅葉。まさにその通りだった。
紅葉の素晴らしさは天気、空気の透明度、湿度、光線の具合などさまざまな要因に恵まれることが条件だったのだ。まさに運しだいというわけだ。

ニホンオオカミが日本で最後に目撃(捕獲)されたのが深吉野・東吉野村である。それを記念して村に狼像が建立されたが、意外に狼は小さかった。柴犬を一回りほど大きくしたくらいだろうか。
モデルとなったのは、捕獲された後英国人に売られてそれが今大英博物館所有となっている剥製だ。
その像の狼は、異国で故郷を偲んで遠吠えでもするかのように空に向かって咆哮しているのがしみじみと哀れをさそうのである。

雲がたなびく

霊のぼる峰に聞かまし秋の声

雨が上がったら、三輪山から雲が湧いているのが見えた。

今頃はあの上空をゆっくりと昇っているのだろうか、母の魂は。