吉備池廃寺跡

大寺の跡みずくまま花うばら

大寺跡みずける池や花うばら

近鉄大福駅から南へ15分ほど歩き、西に磐余の地を望むあたりに吉備池廃寺跡がある。

吉備池廃寺跡

ただ、その一部が江戸時代に灌漑用に築かれた池に埋もれてしまっているので、ここにかつて最初の勅願大寺「百済大寺」があったとはとても信じられない。
舒明11年(639年)発願、天智7年(同668)完成したという「百済大寺」は東西、南北とも約150メートルの広大な敷地に、金堂、講堂の他推定高さ64メートルの九重塔がそびえていたという。法隆寺の五重塔をもしのぐ高さだ。
百済大寺は、その後天武2年(同673)に解体されて高市に移築され「高市大寺」そして「大宮大寺」となり、さらにまた文武朝には飛鳥京「大官大寺」として九重塔、金堂が建てられ、平城京に移ってのちに大官大寺は焼けたが716年現在の大安寺に移築されたという変遷を経ている。

百済大寺跡として国の史跡に指定されたのが2002年でわずか10年ちょっと前にすぎず、遺跡の本格的な保存はまだこれからという状況である。ふだん誰も立ち入らないのであろう、池の縁は雑草に覆われていた。一行がこれを払いながら進んだ後には、はっきりと一筋に草が踏まれた跡が残るのであった。