押し売り

軒先に菊をつらねて伊勢街道

菊花展が各地で開かれているころ。

宇陀の旧伊勢街道を歩けば、各戸の軒、玄関先に見事な菊が通る人の目を楽しませてくれる。
たまたま家から出てきた主に話を伺うと、町内に好事家がいて各戸はそれらを借りたものだという。
どれも立派に咲かせて、町内がいちどにぱっと明るくなるのならば、そういう押し売りもまた悪くない。

法華寺御流

御物展慶し御流の黄菊かな

いささか時機を外している話。

先月終わってしまっている正倉院展会場での話である。
見終わって階上の展示会場から階下に降りるとそこはミュージアムショップ。見学記念にお土産品を買う人たちで混み合っている。庭に出て抹茶もいただけるコーナーもあって、紅葉が始まっている庭園を眺めるながら休息で疲れを癒やすこともできる。

その受け付け場所に目がとまったのが「法華寺御流」とある上品な黄菊の盛花だった。
嵯峨の大覚寺を訪れたときにも、門前に立派な嵯峨御流の生け花があって、そのとき初めて「御流」という言葉を知ったのであるが、奈良の法華寺も同じく門跡寺院であり、それぞれに自派の作法を確立しているのだろう。

雑踏のなかの生花はちょっと気の毒だったが、しばらく鑑賞させていただいた。

テレビで吟行

取り分けの菊を地蔵に白川女

実際に見たわけではなく、BS3のシーンからいただいた句である。

今どきの白川女は軽自動車だ。かつてのように頭上の簑に花などを盛って一軒一軒得意先を訪ね回った姿は、さすがにもう見ることはない。伝統の出で立ちは地元保存会の努力によって辛うじて受け継げられているというが。
ある白川女は、行商に出るたびに家に置いてきた乳幼児の無事を祈って京の子安地蔵に花を供えた習慣を今も忘れず、行商が終わると必ず地蔵様に立ち寄って新しい花を手向ける。

これは石仏や地蔵さんが辻つじにある京都の風景を描いた番組だったが、最近はこのような番組はなるべく録画して、あとで句帖を手にじっくり見ることが楽しみになっている。言ってみればテレビ画面を通した吟行みたいなものである。遠くにいても句材には困らない。いい時代になったものである。

NHKはCMを流さないかわりに番組宣伝をさかんにやってくれるので、こうした日本人とその生活、地域の風土などを流してくれる番組を拾いやすい。
つい最近だが、毎週月曜日から土曜日の朝7時から毎日10分間、過去に放送した番組の中から里山の暮らしを抜き出した番組があってファンになった。番組の最後に象徴的な意味合いで季語も紹介されるのがまるで映像歳時記のようでもある。
いつ頃から始まった番組かも分からないしいつ終了されるかも分からないが、続く限りは取り続けたいと思う。

今後こうした番組からヒントを得た句が増えるのは間違いないだろう。

真一文字

菊の香や遺影の母は微笑みり

参観日の母は誰よりも美しかったのが自慢だった。

死化粧を施してもらって久しぶりに紅みがさした頬を見ながら小学生時代の一コマを思い出した。ただ、真一文字に結んだ唇はその後の厳しい人生の証であるかのようであり、容易に人を寄せ付けない意志の強さを示しているようでもあるのに驚かされた。
享年89歳。