一人っ子に空ありあまる鯉幟
宣伝になりますが、「夏雲」というシステムがあります。
ネット句会と掲示板をセットした仕組みで、大変応用範囲が広く、コロナ禍でリアル句会がまったく開かれなくて句会の楽しみを奪われている人たちにとっては福音のシステムです。
気がついたのは、句を詠むことはどこでもできるのですが、句会の醍醐味というか利点というか、それは選句して披講するその緊張感にあると再認識したことです。
やはり、俳句は詠んで選んでこそ俳筋力が鍛えられます。
平群川の土手に泳いでいるたくさんの鯉幟のしたで、今年は三々五々家族連れが見られ、今年はまた竿の数が増えたかなとか、子供の鯉の数は意外に多いななどと見ているうちに、新興宅地のお宅から可愛い鯉幟が泳いでいる光景とが対照的にみえてきたのを詠んだのが掲句です。
小さな鯉が広い空を独り占めしてゆうゆうと泳いでいる。いっけん、孤独かと思わせるが、実は将来大きくなってさらに悠々と泳げる未来、余地が待ってるんだという思いも含んでいます。