余地

一人っ子に空ありあまる鯉幟

宣伝になりますが、「夏雲」というシステムがあります。

ネット句会と掲示板をセットした仕組みで、大変応用範囲が広く、コロナ禍でリアル句会がまったく開かれなくて句会の楽しみを奪われている人たちにとっては福音のシステムです。
気がついたのは、句を詠むことはどこでもできるのですが、句会の醍醐味というか利点というか、それは選句して披講するその緊張感にあると再認識したことです。
やはり、俳句は詠んで選んでこそ俳筋力が鍛えられます。

平群川の土手に泳いでいるたくさんの鯉幟のしたで、今年は三々五々家族連れが見られ、今年はまた竿の数が増えたかなとか、子供の鯉の数は意外に多いななどと見ているうちに、新興宅地のお宅から可愛い鯉幟が泳いでいる光景とが対照的にみえてきたのを詠んだのが掲句です。
小さな鯉が広い空を独り占めしてゆうゆうと泳いでいる。いっけん、孤独かと思わせるが、実は将来大きくなってさらに悠々と泳げる未来、余地が待ってるんだという思いも含んでいます。

律儀に

イベントの雨の楽日の鯉幟

大雨洪水警報が出る日だった。

にも関わらず、平群川(公式には竜田川だが)の畔に並べた鯉幟10数基が竿をおおいに撓ませて雨空に泳いでいる。
この風雨に青竹一本だけでよく保つものだと感心もしたが、律儀に泳いで見せても誰も見に来る人がいないのは実に気の毒である。
明日以降降ろされるだろうが、はやく解放してあげたいと思うばかりである。

威風堂々

大和棟辺りを払ひ鯉幟

学園前というのは奈良でも一二を争う高級住宅街。

帝塚山大学が駅の南にあり、その周囲に伸びている住宅街である。
電車からは豪壮な家が立ち並ぶのが見えるが、近代的な住宅街にこれぞ大和棟という立派なお屋敷があることに今さら気づいた。折しも、屋敷に負けないような大きな鯉幟が泳いでいる。
構えは大和の伝統的な古民家風であるが、比較的新しい建築だから家の中は意外にモダンなのかもしれないが、まわりは今風の住宅ばかりであり、異彩を放っている。