2019年の句(後半)

昨日に続いて今年後半です。

これはまた色よき香よき梅雨菌
マンションの西瓜の種の吐きどころ
遊船のエンジン切つて瀞まかせ
板塀のすそ暗がりの夕化粧
一面の露の一番ホールかな
韮の花匂ひ立ちもし山雨過ぐ
きつつきに染井吉野は老いにけり
石舞台自領としたる鵙猛る
釜炊の茶粥煮えたつ冬至かな

ご覧の通り、夏過ぎて秋の初め頃まではなんとかつなぎましたが、殘りがいけません。まったく生まれてこないのです。
このようにムラがあるのが大きな課題です。
面白く思ったのが、「西瓜の種」、「韮の花の匂い」。
西瓜を手にとって種を縁側からぺっぺっと吐くこともなくなり、上品にスプーンやフォークなど使ってすっかり洋風化したものですが、高層マンションならベランダから吐き出すこともできず、もっと気取って食うのかななんて想像しながら詠みました。同級生との句会に投句して反応ありませんでしたが、自分では納得の一句です。韮の花はふだんとくに匂いが強いというわけではありません。しかし、ざっと夕立がきたら急に韮の強い匂いがたってきたのです。
「きつつきの染井吉野」は、東京にいたときよく散歩していた川沿いの桜を思い出したものです。子供が小学生の頃植えた苗木が今ではたいそう立派にそだち、両岸を覆い尽くして桜のトンネルが見事なものです。その木にコゲラたちがやってきては四季の散歩を楽しませてくれるのですが、染井吉野はあまりにも寿命が短くあっというまに老いてゆく、次々に生まれ変わっては毎年変わらず周回する啄木鳥との対比を詠んでみたかったのです。
言葉の手柄としては何と言っても「きつつきに」の句です。この「に」は原因や因果関係を示す「に」ではないことはお分かりでしょう。別に啄木鳥につつかれるから桜が衰えるのではなく、「何々に対して」とか「何々にとってはいいことに」とか、啄木鳥と桜を対比させる意味をもたせています。
また自句を説明する野暮を犯しました。

来年こそ、一年を通して安定した作句力を養いたいものです。

“2019年の句(後半)” への2件の返信

  1. 何よりも一年を通して休みなく続けられたことがすごいことだと感じ入っております。
    私が一年間欠かすことなく続けられることと言えば食べることと寝ることしかないのです。
    後半のお気に入りです。

       一面の露の一番ホールかな
       きつつきに染井吉野は老いにけり
       石舞台自領としたる鵙猛る

    1. 昨日もシステムがおかしくて、予約投稿分が反映されませんでした。なんとか切れ目なく更新できていることを喜んでおります。
      過去の投稿数を調べると3,075と出ました。目標の6割ほどです。先は長い長い道です。

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