しらじらと深山泊まりの天の川
しろじろと砂子刷きたる銀河かな
銀漢に射られ二三歩後ずさる
まなうらに銀河の砂子持ち帰る
鼻先にひたと銀漢起ち上がる
昨夜風呂に入ってると花火の音がした。
7月最後の土曜日は恒例の町の七夕祭りで、いつものフィナーレを飾る花火だ。
朝から雨がちで、やはりこの時期星空を望むのは難しいようだ。
星空といえば、子供たちが小さい頃蓼科に近い山荘に泊まった時の夜、圧倒的な夜空の星に一同言葉をなくしたことがあった。
星屑が鼻先にまで迫ってきて、目眩がするくらいである。星屑というにはあまりの数で、星座すら見分けがつかない。もちろん、どれが天の川やらも暫くは判然としなかったが、どうやら空の真ん中をぼんやりと白く横切っているのがそうであるらしい。
以来、あれほどの星空は後にも先にも見たことがなく、天の川といえばあの凄味すら伴う像がまなうらに浮かんでくるのである。
天の川はここ数年見たことがありません。
晴れた日の夜、田舎の空を仰げばもしかして見えるかもね。
昨日は列島ここかしこで花火大会でしたね。
隅田川は雨模様だったらしくテレビで見ると傘をさしていました。
当地も長良川河畔、清流の空に三万発が打ち上げられ朝刊の一面は華やかな花火の写真でした。
花火も年々進化しているようですね。
三万発とは豪気ですね。こちらは町という行政単位ですので、5分程度。何発というほどのこともありません。先週はお隣(多分)の斑鳩町の20分。花火の規模も財政事情次第です。
花火大会、たけなわですね。何だかんだ言っても夏の風物詩。みんな笑顔で楽しんでるのがいいですね。
昨日は当地最大の柏祭り。一族総出で楽しんできました。露天商がいっぱい。お金が飛ぶように出ていきました。気持ちいいったらなかったです。
羽根が生えて飛んでゆくのを実感されたんですね。有り余るものは循環させてこそ国民が幸せになります。
ほだかさんが「蓼科の星空」とすれば、私は「穂高岳山荘からの星空」かな。その昔、井上靖の小説「氷壁」に誘われ穂高岳を目指した、その夜の空は忘れられません。後年その空を一目見せたいと思い案内したのが今の家内です。
広角写真の天の川はくっきりとしていますが,肉眼ではほんとにミルキーウェイでぼんやりしている感じでした。
3,000メートル級の山頂からだと、もっと身近に迫る感じなんでしょうね。
奥さんとのなれそめを初めてお聞きしました。天の川には家族それぞれの思い出があるということですね。
こんな句があります。
景色が見えてきますね。
銀漢に射られ二三歩後ずさる
これは 好いですねぇ!
満点に星が無数に広がっている、
あまりにも その数多いので 幾つかが地上に降って来て
射られそうになった、
と言う実に鮮やかな句です。
銀漢と言えば、蘇軾の「中秋の月」です。
銀漢 声なく 玉盤を転ず。
この生 この夜 長くはよからず、
明月 明年 いずれの処にて看ん。
関東地方は8月に入って毎日雨・雨・雨・・・。
梅雨明け前(?)のカンカン照りが懐かしくなるほどですが
と言って、爽やかな秋の気配はまったくせず。高湿のせいです。
そんな気分で “一日一句”を さかのぼって 繰っていたら
この素敵な句に ぶつかりました。
蝉丸さん、久しぶりです。
天の川の句がいくつか詠めて、気に入っていただいて恐縮です。「後ずさる」は結社の選には入らないと思いますが私も気に入ってます、「まなうらに」なら可かとも思うのですが。
漢詩にお詳しいですね。詩吟でも嗜まれておられるのでしょうか。
関東の空はこの詩のようにはいかないようですね。こちらは相変わらずの猛暑で、35度前後の日がまだまだ続きそうです。
はやく空気が澄んで、涼しい夜がこないかと待ち焦がれる思いです。昨日は「流星」を詠んでみました。