密度

天の川どれと分かたぬ星万朶

満天の星が近すぎると見失うことがある。

済みきった夜空を覆い尽くす星という星が輝きをともなって降るように頭上にあるときだ。
こういうときだから見えるはずだと探すのだが輪郭すらそれと分からない天の川。
そんなことを経験した蓼科に泊まった夜のことは忘れられない。
また、まったく隙間のない星の密度の前には、有名な星座さえ区別がつかなくなるものだ。
澄んだ空気にあると、ふだんは人の目にはとらえられないくらいの輝度の星すら輝きを増してしまうのだろう。
感度のいいレンズを持たずとも、いまは高精細のスマホであればうまく撮れるに違いない。

後にも先にも

しらじらと深山泊まりの天の川
しろじろと砂子刷きたる銀河かな
銀漢に射られ二三歩後ずさる
まなうらに銀河の砂子持ち帰る
鼻先にひたと銀漢起ち上がる

昨夜風呂に入ってると花火の音がした。

7月最後の土曜日は恒例の町の七夕祭りで、いつものフィナーレを飾る花火だ。
朝から雨がちで、やはりこの時期星空を望むのは難しいようだ。
星空といえば、子供たちが小さい頃蓼科に近い山荘に泊まった時の夜、圧倒的な夜空の星に一同言葉をなくしたことがあった。
星屑が鼻先にまで迫ってきて、目眩がするくらいである。星屑というにはあまりの数で、星座すら見分けがつかない。もちろん、どれが天の川やらも暫くは判然としなかったが、どうやら空の真ん中をぼんやりと白く横切っているのがそうであるらしい。
以来、あれほどの星空は後にも先にも見たことがなく、天の川といえばあの凄味すら伴う像がまなうらに浮かんでくるのである。

頭を抑えられる

或る年の家族の記憶天の川

天の川を間近に感じた日って何時のことだったろうか。

星が降るとは言うけれど、吸い込まれそうな星空というのもある。
ある夏休みに、信州の高原へ家族旅行したときの夜もそんな星空だった。
空を埋めるようなおびただしい数の、大小すべての星がまたたくようで、星座の形すらイメージできないほど星が密集している。
その中でも、天の川は覆いかぶさるように頭上にまとわりついて、まるで抑えつけられるような感覚の記憶が鮮明だ。

その後、何十年かたって同級生と信州の温泉でみた天の川は微かな雲がかかっているように見えて、まったく別物という感じがした。