環濠集落

古町の暖簾括れる日永かな

中世から江戸期にかけて栄えた環濠集落の町・今井町で句会吟行があった。

満開の飛鳥川

駅を降りるともう花、花、花。
飛鳥川の両岸は川を覆いつくすほど満開。

今井町入り口の榎
おまけに、町の入り口では魔除けとされる樹齢400年を超える榎が新芽を吹いて迎えてくれる。
真宗の寺内町として興され信長にも抵抗したが、その後降伏ののちは商業に活路を見いだし、やがて大名貸しなどによってたいそう栄えた環濠集落全体が国の歴史的建造物保存地区に指定されており、多くの建物が重文となっている。今井の町家は決して華美ではないものの、厳しい町掟の枠で許される様々な意匠をこらした設えに特徴がある。

それだけに句材はいろいろあったのだが、ものにすることは難しいものだ。五句提出はクリアしたものの、今日も己の実力を認識する会となってしまった。じっくりブログで句にしていきたいと考えている。

“環濠集落” への4件の返信

  1. 何処も彼処も花酔いしそうなくらいですね。

    環濠集落、初めて聞く言葉です。
    調べてみたら奈良盆地に見られる特殊な村落で自衛手段だったとか・・・
    普通に住まわれているようで中山道の妻籠の宿と映像がダブりました。

    村落をイメージできるような句、楽しみにしています。

    1. 環濠集落というのは、もともと湿地帯の多かった奈良盆地だからこその形態でしょうね。先日紹介した弥生時代の唐遺跡なども環濠集落でした。

      村の衆で真宗の寺を中心に惣を構成し強固な自治組織であったようです。信長の弾圧も巧みに乗り切り、江戸時代には大名を相手としたいわゆる「大名貸」として栄えたようです。その象徴が大店の軒下にしつらえた「駒繋ぎ」で、侍が乗り付けてきた馬を止める鉄の輪です。この駒繋ぎを意匠したものがこの地域の紋章として、マンホールの蓋にも鋳込まれています。橿原市に所属しても昔からの自治地区としてのプライドはなまなかのもではないようです。

      で、肝心のお寺さん「称名寺」ですが、本堂は修復作業中で見学はできませんでした。あと7年かかるそうです。薬師寺さんの東塔と同じですね。

  2. 飛鳥川の両岸の桜は見事ですね。まさに花、花、花でむせかえりそうですね。
    寺内町として栄えた今井町は、ひょっとして織田信長と繋がりの強かった堺の商人、今井宗久の出身地といわれている有名なところですよね。
    寺内町として栄えるとともに、戦国大名相手に商をして財をなしたそうですから、環濠集落内にはかなり贅を尽くした建物や家具等、見所のあるものが多いのではないですかね。
    樹齢400年を超える榎が迎えてくれることも歴史と風格を感じさせますね。

    1. 間もなくすると、大和川が集結する自宅付近の盆地出口ではこれら大和川支流の花をすべて集めて川幅100ヤードすべてが花びらで埋まります。いわゆる花筏ですが、壮観なものですよ。

      宗久は近江の出だそうです。同じ今井家ですが関係あるのでしょうかねえ。
      今井町は寺内町として誕生しその後金融で栄えた町ですから、いわば宗教で強く結ばれたユダヤ人の集落と同じようなもので、見たところは人を圧するような豪華絢爛さを競うものではありませんでした。卯建の上がった家も少なく、あったとしても小さめで、どこかの宿場町のようなこれ見よがしの風情はまったく感じられません。中の調度なども特に華麗といわれるものはないようです。ただ、さすがにしきたりには厳格で代々「警察権」「司法権」をもっていた家もあります。町の自治を守るための知恵や工夫なんでしょうね。

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