集約

花曇出入り激しき道の駅

陽気がよくなると人の動きも活発になるようだ。

行くところ行くところ桜が咲いて、目を奪われるシーンが何度か。
街の中には学校に、公園に、町庁舎などなど見飽きることがないが、不思議に大和川沿いには少ない。支流の佐保川、飛鳥川、高田川などはよく知られるが、合流して本流となると途端にあの広い河原は寂しいものとなる。目立つのは増水時に流れてきたゴミが散らばる水際である。盆地の雨という雨を集めるだけでなく、ゴミも集約されるというわけである。

セカンドオピニオン

爪切はなまくらにして花曇

最近爪がよく割れたり欠けたりする。

加齢が原因かと思われるが、よく考えればよく切れない爪切を我慢して使っているのもその一因ではないかと思うようになった。
自分では切れないことはないと思っているのだが、家人などに言わせるととても使える代物ではないらしい。
このほど帰省していた子供に貸したところ、全然切れないと突き返された。
あらためてしげしげと爪切りを眺めるのだが、なんとか馴染んで使い慣れているとそんなに不便なものではない。かと言って、第三者がそう言うのだからやはり切れない爪切なんだろう。
そう考えると、爪切り後やすりをかけてもざらざらひっかかるところがあって、そこから割れや欠けにつながることが多い。
なまくらな爪切りを前に気が重い曇り空がしばらく続くときた。

写生大会

画架背負ひて徘徊もまた花曇

絵はいまでも苦手だが、過去一回だけコンクールに入選したことがある。

それもはるか昔、たしか小学校4年生のときでなかったか。その年から水彩画を習うことになっていて、新学期の前に絵筆や絵の具など買ってもらったばかりであったと思う。
近所にハイソな家の同級生がいて貧乏な家の子とよくつきあってくれたものだと思うが、まだ春休みであったか、写生に誘われて言われるままに出かけた。その子には姉もいて、水彩画にも手慣れた風だった。河原に降りて下から見上げるようにして桜の土堤を描こうということだった。
今考えてみても、なかなか面白いアングルで、土堤の先には橋もかかっていてこれも画用紙の端に入れた記憶がある。
市主催のコンクールに応募したことなどすっかり忘れていた頃、クラスの先生から入選を聞かされたときはたいへん嬉しかった。
今思えば、カメラで言えば広角レンズで切り取ったような画角で、友達に言われるままに河原に降りたことが決め手だったと思う。一人だったらとても思いつかなかったろう。
そんな得難い友人も間もなく転校となって、以来再びコンクールに応募する機会はこなかった。

古豪対決に期待

花曇アルプス席の響もする
三塁側とみし歓声花曇

なんかすごいことになってきた。

あの智弁高校が決勝進出だと。
しかも、それまで零封されていたのが土壇場九回裏の逆転サヨナラ勝ちとは。
地元ニュースでもアナウンサーは大変なはしゃぎ振りだ。
ベスト4が39年ぶりで、決勝はもちろん初めて。相手の高松商業も55年ぶりだとか。

最近は新興チームの活躍がめざましいが、こうした古豪対決というのもいいものだ。
両校の投手もいいので接戦が期待できそうだ。
明日はテレビで地元高校を応援しなきゃね。

環濠集落

古町の暖簾括れる日永かな

中世から江戸期にかけて栄えた環濠集落の町・今井町で句会吟行があった。

満開の飛鳥川

駅を降りるともう花、花、花。
飛鳥川の両岸は川を覆いつくすほど満開。

今井町入り口の榎
おまけに、町の入り口では魔除けとされる樹齢400年を超える榎が新芽を吹いて迎えてくれる。
真宗の寺内町として興され信長にも抵抗したが、その後降伏ののちは商業に活路を見いだし、やがて大名貸しなどによってたいそう栄えた環濠集落全体が国の歴史的建造物保存地区に指定されており、多くの建物が重文となっている。今井の町家は決して華美ではないものの、厳しい町掟の枠で許される様々な意匠をこらした設えに特徴がある。

それだけに句材はいろいろあったのだが、ものにすることは難しいものだ。五句提出はクリアしたものの、今日も己の実力を認識する会となってしまった。じっくりブログで句にしていきたいと考えている。