散り際のよさ

雨打たる山茶花ぱらりぱらりかな

山茶花は椿のようにまるごと落ちはしない。
花弁の一枚一枚がぱらぱらと崩れるように散る。

今朝起きると大輪の山茶花が夜来の雨に打たれてかなりの花弁を落としていた。
残ったのを少し揺すぶってみると、また一枚散った。

“散り際のよさ” への5件の返信

  1. 冬には山茶花の花木が欠かせないですね。
    桜の花びらとは又違った良さがあるように思います。

    お二人の一連のコメント談義に触発され夕べ、セピア色に変色した茂吉の「萬葉秀歌」上下巻を手に取ってみました。
    この時代、いいですね。特にあかねさす・・・や、にぎ田津に・・・の「額田王」が好きです。

  2. サイトの「奈良暮らしから」ページに天智・天武時代のことについて触れております。同時代の額田には大きな魅力を感じますね。紫野の歌などはまさに天才としてしか思えない。本棚にこの頃の作だと思われる瓦のかけらを置いておりますが、たまに眺めては古代に思いを寄せております。
    瓦といえば、当地は飛鳥の頃の瓦の工房遺跡があったので保全地域になっていて建物や外構にもいろいろ制約があります。いたるところ掘れば遺跡になってしまう土地柄というのは、一生掛けても学びきれない気がします。生涯学習という言葉の響きが新鮮に思う最近です。

    1. 「奈良暮らし」でおっしゃるとおりです。
      愛憎絡まるなかにも悠久のロマンを感じます。
      このところ刺激が多くてあちこち手をつけた本が山積みです。

      今、地元の図書館で司馬さんの「街道をゆく」を立ち読みしてきました。
      昔、全巻読破したのですがキヨノリさんの竹内街道で思い出した次第です。
      ここにも御地、ほだかさんのお住まいの周辺が目白押し。
      司馬さんの原点の地だそうです。
      NHK出版の本では二上山夕景の素晴らしい写真も見つけました。

      又、この街道の起点は「あわあわ」とした旅立ち、湖西のみちでした。
      今年初めから琵琶湖一周(226キロ)ウオークを始めた私としては大いに懐かしく感じております。
      今月14日、1年かけてで完歩です。

      1. 満願おめでとうございます。自転車でも一周するツーリングというのはあるようですが200キロ超というのはいずれにしてもきついものです。何度かに分けて歩かれたと思いますが、自分の足で踏破されて収穫もさぞ多かったことでしょう。
        司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズを読むと知的な興奮を味わえるのが魅力です。そのうえ文章自体もうまいなあと感心します。まだ全巻を読んでないので残りを読むのも楽しみですね。

  3. スカイブルーさんに加わっていただき「奈良暮らし」談義も面白くなってきましたね。ドンドン話を拡げて盛り立てていきましょう、、、なんせ15年もかかる超特大プロジェクト、いやはやホンマ無茶なこと始めたもんですな。

    「奈良暮らしから」、読ませてもらい想いがよく分かりました。ドンピシャリじゃないですか。
    今日はいつも行く近所(野田市清水公園)に紅葉を見に行ってきました。フラワーガーデンの山茶花がまさに一片づつ散っていました。椿(特に夏椿はひどい)みたいにボトリと落ちるより風情があるのではねぇ。

    額田王ですか、、なるほどね。ゴツイ感じのする万葉歌人達の中で、女流、しかも美人(とか)。人気を集めるのも無理ないというとこですかね。「紫野行き」もいいけど「春秋論争」の草分けでこの重要テーマを紫式部がしっかりいただき源氏物語の中で展開しているってわけです。

    スカイブルーさん、琵琶湖一周ウオーキングすごいですね。琵琶湖・近江、ここもそれこそ歴史の集積場みたいなとこですもんね。司馬遼太郎がここから歴史街道を歩き始めたのもよく分かります。「江」の故郷だし、芭蕉が義仲といっしょに眠る地でもあるし、紫式部が越前へ赴いたのも「湖西のみち」(+湖上)であったとか。。。思い出がいっぱいできたことでしょうね。。

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