梅一片降りて残像としもなく
梅一片散華ともなく降りにけり
見とがめるもの誰あらん梅散華
人知れず梅の散華のありにけり
つとありて梅の一片落ちにけり
桜は「はらはらと」散るという。
人はその散るさまも含めて桜を愛しいと感じている。
対して春の先触れとなる梅はどうか。梅は人の見てないところで散るのである。しかも一片ずつ時間をかけて静かに散る。梅を散るところなどを詠んだ歌や俳句が少ないのもそのためである。言わば気がつけばいつの間にか花が少なくなっていて、あるとき見たら多くが萼だけになっているのに気づき、ああもう梅は終わりだ、と思ってお終いなのである。梅の散るのを惜しむ人はまずいまい。
今年の庭の白梅は、1月下旬から咲き始めて、今日までまだ二分ばかり花を残している。こんなに長い間咲き続けているのは珍しいことである。たまに庭に目をやるとき、さらにまたたまに梅が散るのを見ることがある。同時にいくつも散るのではなく、一片ずつである。散るというよりは剥がれるという感じだ。
なるほどね。剥がれる、まさにそんな感じです。
玄関わきの寒い一角に置いた一輪ざしの梅、今日片づけました。
そろそろお彼岸ですものね。
季節が進んで、梅はなくても、河津桜とかいろいろな花が咲いて埋めていてくれますね。
彼岸も過ぎれば浮き立つ春です。