引鴨や釣桟橋の朽ちしまま
税務署の帰りに平城京大極殿北の水上池に寄ってみた。
ここは、奈良の探鳥ファンには欠かせない池で、鴛鴦はじめ何種類もの水鳥がやってくる池。
だが、三月も半ばとなると、さすがに鳥は少なくなっていて、種類も小鴨などごくわずかであったが、それでも池の真ん中で群れを作っている様子など引くタイミングを伺ってもいるようだった。
北風が強くて、ウオッチャーもほとんどその姿を見られず、情報も得られないので早々に退散することにしたが、次来たらもう渡りの鳥たちは見られなくなるだろう。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
引鴨や釣桟橋の朽ちしまま
税務署の帰りに平城京大極殿北の水上池に寄ってみた。
ここは、奈良の探鳥ファンには欠かせない池で、鴛鴦はじめ何種類もの水鳥がやってくる池。
だが、三月も半ばとなると、さすがに鳥は少なくなっていて、種類も小鴨などごくわずかであったが、それでも池の真ん中で群れを作っている様子など引くタイミングを伺ってもいるようだった。
北風が強くて、ウオッチャーもほとんどその姿を見られず、情報も得られないので早々に退散することにしたが、次来たらもう渡りの鳥たちは見られなくなるだろう。
引鴨、引鶴なんて季語があるのですね。俳句の世界ですね。
鴨ってけっこう種類がありますよね。当地でも年中居続けるやつもおれば渡り鳥なのかちょっと変わった種類も混ざっていたりして。平城京跡は鳥たち&探鳥家たちの天国なんでしょうね。
「引鴨」、「引鶴」はありますが、雁は「帰る雁」ですね。ややこしい。
「引鴨」には傍題に「帰る鴨」、「鴨帰る」、「行く鴨」、「残る鴨」があります。「残る鴨」は大方の鴨が帰って、老いたもの、傷ついたものなどだけが残った、晩春の季語で、他とはちょっと違うようです。「帰雁」とは言いますが、「帰鴨」とは聞かないです。
「春の鴨」というのもあって、これは渡りだけをいうのではなく、留鳥も含めてのたりとした春の余韻の中の鴨というわけです。
いずれにしても鴨はなかなか詠みにくい対象で、観察の深さがものをいう季語です。掲句はその点で、把握ができておりません。寒さに早々と退散してしまいました。