終焉の美

梅ヶ枝の風にふるへて散華かな

通り抜ける風に枝が震えている。

梅だから吹雪というほどではないが、先に咲き始めた梅がどんどん散ってゆく。
遅れて咲いた枝のものは風にも十分耐えられていて、梅終焉の美をしばらく楽しませてくれる。
櫻と比べて圧倒的に花期が長く、ずっと楽しめるのでやはり梅は初春の代表だ。
わが白梅はこのように長くもってくれてるが、ずっと遅れて開いた紅枝垂れはさきに終わりそう。

ぼやく

梅固し黒雲厚く低ければ

家人と話しをするのだが、当地はからっと晴れる冬が少ない。

長く関東にいたので冬と言えばからっと晴れ渡った日が多かったので、最初の冬に感じたことである。
しかも、ただ雲が多いと言うだけではなく、雲自体が暗く、黒くてそれが頭上を覆うのである。気分的にはたいへん抑圧されたようなものである。
考えてみれば、関東は日本海側から吹き付ける湿った風が幾層もの高い山々を超えてくるうちすっかり湿気をなくした状態になるのに対し、当地のは日本海からの重たい空気がやすやすと飛んでくるので雲が暗く、しかも低い。
朝から夕方まで晴れっぱなしという冬の日は数えるほどしかないのである。
洗濯物を取り込むたびに家人のぼやきが聞こえてくる。

梅爛漫

梅白し夜の帳の奥になほ

寒さで進撃が停滞していた梅が再び前進を始めた。

最初に咲いたグループはさすがに咲き疲れが目立ってきてようだが散るには至っていない。
今日に続いて明日も三月の陽気だそうで、残る蕾も一気に開くかもしれない。
梅爛漫の庭である。

昼の月

柏木の古葉さやさやと寒木立

久しぶりに飛鳥へ足を延ばした。

橿原に用件があるついでに回り道しただけだが、それでも久の飛鳥の冬は身がきりりと締まるような寒さだった。
冬木立はいよいよ春に備へて冬芽もしかと確かめられたし、古木の凜とした佇まいには多武峰にのぼった真っ青な昼空の下弦の月が冴え冴えとして趣を添えていた。

老梅はあまねき光まとひゐて

飛鳥に寄った目的は梅の探索であったが、意外に梅は少なかった。かぎられた時間のせいもあるが万葉文化館ならまずあるに違いないとふんでようやく二、三本見つけることができた。
プロの養生もあってなかなかの枝振りである。どの枝にもうまく光が行き渡るように手入れされている。

白梅

奈良公園におくれて一ㇳ日梅ふふむ

奈良公園片岡梅林の開花ニュースの翌日だったと思う。

庭の梅を見てみればいくつか白い花が認められた。
例年より遅い開花ということだが、我が家の開花条件も似たり寄ったりということであろう。
この梅の花期は例年比較的長く、今年も長く楽しめるのを期待している。
こうして開花が確認できれば、今度は梅を探しに出かけたくなるのは自然の流れである。あちらこちらで開花を認めては、すこしずつ春が近づいているのをこ実感するようなものだから、よけいに足を延ばしたくなるのである。春を見つけるというなら別に遠くでなくてもご近所のお庭でもいいわけで、たとえ寒が戻っても探梅の楽しみはいよいよ高まるのである。
白はもう見たから今度は赤も見てみたい。

動け

陽だまりに日数かさねて梅ふふむ

庭の白梅がふくらみ始めた。

今年はたいした手入れもしなかったのにけなげである。隣地に家が建って、半日は日が当たらないハンデを乗り越えていつも通りに咲いてくれそうである。
またどの木もまだ寒の剪定をしてなくて、12、3度くらいの暖かい日がきたら手をつけようと思っていているまに今日に至っている。
少しでも季節が動いてくれたらありがたいんだけど。

小原の里

万葉館令和の梅の盛りなる

今日も技術的問題は解決できず、長期化する見込み。
県道から飛鳥の万葉文化館への誘導路は両サイドがそれは見事な野梅が迎えてくれる。
ここは今は「小原」と呼ばれるが、天武が藤原夫人に向けて詠んだ

わが里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後 万葉集巻2-103

のあの大原の里のことである。