法華寺御流

御物展慶し御流の黄菊かな

いささか時機を外している話。

先月終わってしまっている正倉院展会場での話である。
見終わって階上の展示会場から階下に降りるとそこはミュージアムショップ。見学記念にお土産品を買う人たちで混み合っている。庭に出て抹茶もいただけるコーナーもあって、紅葉が始まっている庭園を眺めるながら休息で疲れを癒やすこともできる。

その受け付け場所に目がとまったのが「法華寺御流」とある上品な黄菊の盛花だった。
嵯峨の大覚寺を訪れたときにも、門前に立派な嵯峨御流の生け花があって、そのとき初めて「御流」という言葉を知ったのであるが、奈良の法華寺も同じく門跡寺院であり、それぞれに自派の作法を確立しているのだろう。

雑踏のなかの生花はちょっと気の毒だったが、しばらく鑑賞させていただいた。

“法華寺御流” への4件の返信

  1. 華道の流派は数えきれないほどあるようですが「法華寺御流」と言うのは初めて聞きました。
    きっと由緒ある流派なのでしょうね。
    私は高校時代は池坊、社会人になって石田流を習いましたがかじっただけで全く身についていません。
    今は何でも自己流で自由に生けていますが石田流の華道展は毎年観に行きます。今年のテーマは「奥の細道」でした。
    テーマに沿った生け花と言うのもなかなか面白いものだと思います。

    1. 生け花は全くの門外漢ですが、季節の花を活けた自然観、世界観というのは日本文化に共通するんでしょうね。
      法華寺は光明皇后開基の総国分尼寺という由緒ある寺。歴史で言えば大覚寺の比ではありませんが、生け花としては大覚寺御流のほうが隆盛のようです。

  2. つくづく11月は菊の月だと思います。庭や畑、至る所に種々雑多な菊が咲き乱れています。日本の秋であります。

    歌道にはどっぷり浸かっているのですが華道は全く分かりません。wikiでざっと見てみました。「池坊」の意味も分かりました。比較的新しい芸術なんですね。枕草子には出てくるとありましたが源氏物語には「生け花」みたいなのは出て来なかったと思います。季節の花を手折って文とともに渡すとかはあったのでしょうが。。

    1. 菊は11月のイメージ。私には菊人形、文化の日というのはつながったイメージです。菊を詠むならやはり11月でしょう。
      先月のためいき会では「濁音」は避けるべきと生意気なことを書きましたが、この句は上中下みな「濁音」だらけ。逆効果を狙ってみました。

      花を生けるというのは、野にあるものを室内などに持ち込んでそこに一つの世界を見るというのが始まりなんでしょうか。
      能もそうですが芸術として認められるようになったのは室町以降なんでしょうね。

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