河原石積める垣内の鳳仙花
鳳仙花屋根に石載す杣暮らし
爪染むる叔母見たるなし鳳仙花
もうずいぶん減ったろう。
山国熊野の暮らしはかつて林業に支えられていた。集落の男たちは、山主に雇われて、昨日はあの山、今日はこの山へと入り、下草を刈ったり、枝を払ったり、切り出した木を運んだり、川では筏師が河口の集木場まで運ぶ。
どの家も、平屋の屋根に届くかと思える高さまで河原の丸石を積み上げて垣を築き、檜皮の屋根を丸石が抑えていた。
垣のうちには南天を植え、柿を植え、どの家も整理が行きとどき、つましいながらそれなりに身ぎれいに暮らしていた。
林業は今では外国材におされて見る影もなく、男たちは町へ出てしまったが、毎朝男たちがやたら大きな弁当箱を腰に巻いて出かけていった姿が今でも鮮明に思い出すことができる。河原石を載せた家がいくらか残っていたとしても、それは打ち棄てた家になってるかもしれない。
中上健次の小説に鳳仙花がありますね。
昔の集落の茅葺か杉皮屋根だったかに石を載せている家があったのを記憶てしいます。
更にその屋根には風に飛ばされた 鳳仙花やペンペン草が生えていたりして。
林業に携わる男に父が偲ばれます。
今週の朝ドラは主人公の健気さに毎日ホロリとして画面が曇りました。
そして奥茨城の風景が我が故郷と二重写しになった。
谷田部家の家族が子どもの頃の祖父や両親と重なりそしてhodaka さんの句に思いは故郷へ。
明日、渋滞を避けて早朝スタートしよう。
両親や叔母のお墓参り、そうだ友人宅の初盆見舞いもしなくちゃ・・・
「鳳仙花」は古座川河口近くの話で、健次の母親がモデルだったのではないかと思います。鮎の川として有名ですが、最近は雨が降るたび増水のニュースがたびたび聞こえてきます。
鳳仙花は「爪紅(つまくれない、つまべに)」という別名があり、爪を赤く染めて遊んだことから来ています。田舎のこともあって、叔母たちはたとえ山持ちの妻であっても真っ黒けに日焼けして働き者でした。マニキュアなどとてもとても。
お向かいは今朝早くから車を水洗いしていました。田舎でも帰る仕度なのかな。
奥茨城は高萩市あたりをモデルとしているようでした。実家はバス停から徒歩1時間なんて、ちょっとオーバーなくらいですが、そこらへんになりますと、一日の気温差は大きくすでに蜩は鳴いているのでしょうね。
盆休み、気をつけてお帰りください。