一寸先は

リベラルの流転憂き世のそぞろ寒

ひねくれた人生だった。

例えば、強者にはどうしても心を寄せることはできず、アンチの立場に立ってしまうのである。
就職の面接で「アンチ自民」だと述べたらその時点でアウトだったけど、節をまげてまで嘘を言うのはできなかった。
こんな類いの話をすればいくらでも「下手な生き方」を並べ立てられるが、今に至るまでとくに後悔することはない。
気に入らなければ近寄らなくて済むようになって、ますますこの強情さを楽しめるようになっている。
ところが、つねに傍観者で居続けることは難しいもので、どれかを選択しなければならないときがある。このとき、選択肢に自分の意に沿うようなものがなければどうしたらいいんだろう。

“一寸先は” への2件の返信

  1. ひねくれた人生ですか、それもいいんじゃないでしょうか。
    他人を不幸に陥れるわけでもないし・・・

    何を人生の羅針盤として生きるか、それは人それぞれ。
    自身の信条に忠実であれば後悔はないと思いますよ。

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