紅ひとつ地雨に点る石榴かな
まだ裂けてないが、もう十分な大きさである。
平群谷を行けば車窓からでも多くの季材が目に飛び込んでくる。先日の山栗もそうだが、今日の石榴もまた車窓の眺めからである。
生駒がすっぽり隠れるくらい山霧が流れてきて、あたりの色を失わんばかりとなったとき、ぽつんと赤い点景が灯った。
石榴の実もまた今年は当たり年かもしれない。ここだけではなく、同じ日の都会の幼稚園の庭にも高々と石榴が実をいっぱいつけているのを見ているので。その数と言えば、園児に一個ずつ持たせてあげられるほどというのはいささかオーバーであるが。
市営住宅の植え込みの石榴もかなり大きな実をつけています。
はじけるのももうすぐではないでしょうか。
この柘榴の実、誰も採る人がいなくて毎年朽ちて地に落ちます。
公営住宅の植え込みの実は誰のものか聞いてみたら一階の住人に権利があるのだとか。
昔ならいざ知らず今どき石榴が欲しい人などいないのかも知れませんね。
いっとき石榴酒が流行りましたが大量の石榴が必要なのかしらね。
団地の銀杏もそうですが、最近は拾う人を見かけなくなりました。
地階の人に権利があると言うことは、手入れもしなきゃという前提でしょうか。
石榴、通草、好んで食する人は減りました。甘いものが手安く簡単に手に入る時代、誰も見向きもしなくなってゆくのでしょう。