食指

割石榴太き唇もて吸はん

ジョウビタキの顔を出す庭。

目立って大きな石榴の実がなっていたが、とうとう見事に割れて透明な真っ赤な実がはじけてる。さしてうまいものとは思わないが、これほど見事に割れていれば吸いつきたくなる。ただ可愛い小ぶりの口では難しいかもしれない。それほど大きな実なのである。
人間の食指がそそられるのだから、きっとこれを好物にする鳥もいるにちがいない。さしずめヒヨドリだろうか。そう言えば今年はまだヒヨの声を聞かない。

石榴、お前もか

紅ひとつ地雨に点る石榴かな

まだ裂けてないが、もう十分な大きさである。

平群谷を行けば車窓からでも多くの季材が目に飛び込んでくる。先日の山栗もそうだが、今日の石榴もまた車窓の眺めからである。
生駒がすっぽり隠れるくらい山霧が流れてきて、あたりの色を失わんばかりとなったとき、ぽつんと赤い点景が灯った。
石榴の実もまた今年は当たり年かもしれない。ここだけではなく、同じ日の都会の幼稚園の庭にも高々と石榴が実をいっぱいつけているのを見ているので。その数と言えば、園児に一個ずつ持たせてあげられるほどというのはいささかオーバーであるが。

入園料免除の集団

高塀に石榴しだるる公舎かな

今月のまほろば句会は登大路の「吉城園」。

南大門前を流れてきた吉城川をはさんで、名園二つ。「依水園」と「吉城園」だが、吉城園は県営で65歳以上は入園無料である。30人も押しかけて誰も入園料を払わぬという、園にとっては災難の客。
元は興福寺の塔頭の一つであったらしいが、その後個人のものとなったり、企業の迎賓施設として使われたりしただけに、大正時代の手作りガラスをはめ込んだ広縁のある豪勢な座敷や離れの大きな茶会ができそうな茶室があるほか、池の庭、苔の庭、茶花の庭が築山などによってうまく配置された立派な庭園である。
広い庭園だけに、季題だらけで他に探す必要もなく、二時間はいただろうか。
いくつか詠めたが、やっぱり植物を詠むのはむずかしいものだとつくづく思わされた一日であった。

掲句は、公園の隣にある県知事公舎のそばを通ったときに見かけた光景。色のコントラストを強調する「白塀」にするか、高さを強調する「高塀」にするか迷ったが、石榴の古木を想像させるにはやはり「高塀」のほうが相応しいと思ったので。