水足りて暗渠を奔る厄日かな
段々の田圃の水があふれて暗渠に奔っている。
今のところ水は十分足りているようであるが、一方で南の海で次々と台風が生まれているという。
今がちょうど稲の花どきで、農家としてはここしばらくは心穏やかならない心境だろう。
二百十日、二百二十日とはまさにそういう時期で、厄日として季語にもなるほど農事と深く結びついてきた我が国の暮らしには無事に乗り越えたいという強い願いも込められている。
折しも、当地にはカンカン照りの日が戻ってきたが、ニュースによれば広島、岡山両県のあたりが豪雨とも。佐賀など北九州の豪雨禍の傷跡もまだ生々しく、これ以上被害が拡散しないよう祈るばかりだ。
風鎮めのおわら風の盆は今宵が最終日。胡弓の音と踊り手の手の動きが妙に切ない流しが夜明け近くまで続く。
当地の田んぼも今が稲の花穂時です。
スーパーでは早々と新米が出ているというのに収穫時の差は二か月以上ですね。
風の盆と言えば高橋治の「風の盆恋歌」
昔はこういう小説が好きでしたが今は全く傾向が変ってしまった。
今日はかかりつけの病院で健康診断を受けた。
毎年誕生月に受診していて二週間後には結果が出るが年々二次検診が増えつつある。
思いがけなく敬老の日を前にして自治会と学区からささやかなお祝いをいただいた。
次のお祝いは米寿との事で頑張ってくださいと自治会長から激励を受けた。
これだけ老人人口が増えると、敬老の日プレゼントもよしたらいかがとは思うのだが、実際に手にするとしみじみとこれまでの健康に感謝するばかり。
ともあれ、最後まで健康寿命を全うしたいと思う次第です。
真闇へと連れ去られなむ風の盆 西村和子
掲句はほだかさんに紹介いただいた一句。
2日~3日と混雑は覚悟の上で、越中八尾の風の盆を訪ねました。
初日の1日よりはいくらか益しで、概ね念願の踊りを堪能してきました。
飛騨古川並みの飛騨の匠の手になるような、見事な家並みの商店街です。
300年の歴史を持つ豊作と風よけの踊り。担い手は25歳までの独身女性が主役で、男踊りとおはやしが支える構図。日本舞踊と胡弓の融合がお見事。
日本もまだまだ捨てたものではない。
この踊りのために、卒業後町を去る友人を横目に故郷にとどまっている娘さんが多いと聞いてます。今年最後となると、感慨ひとしおのものがあるでしょうね。
坂の町と聞いてます。川の流れといい、情緒あふれる踊りなんでしょう。