程度の問題

晴れたるを厄日の雨となりにけり

かあっと照ったと思ったら突然の大降りとなったり。

台風11号が前線を刺激した影響で広範囲に各地に雨雲がかかっている。
ときに雷鳴が混じり、激しい雨音におどろかされたり、そうかと思うと強い日差しが突然さしてきたり。
今は秋冬野菜の苗作り真っ只中なので、あれこれ気をもむばかり。
渇水よりは雨があったほうがもちろんいいのだが、それも程度の問題である。大きな風水害の少ない盆地だが、用心にこしたことはないだろう。

自家採取

双耳峰二つ雲のる厄日かな

今年の厄日、二百十日は昨日の8月31日。

昔から稲が咲く頃の風雨を怖れられてきた。今では台風シーズンを避けて早生米を作るところがほとんだが、再三取り上げるように当盆地は今まさに稲の花咲く時期。幸いにして台風の直撃はないが、明日は確実に雨がふるらしい。畑には嬉しい雨である。
昨日だが、ふと顔を上げると信貴山の北峯、南峰のそれぞれに雲がかかるという珍しい現象に出会った。あの小さな二つの峰にである。だがしかし、とりたてて天気の動向に影響を与えそうもない、たんなる偶然であろう。
今日は収穫したスクナ南瓜を食べた。ものすごくうまい。というか甘い。これほどうまい南瓜は初めてである。もちろん十分熟した種は採っておいた。家の周りには南瓜を育てている様子はないので交雑はしてないと思う。
渓山さん、ご入り用とあらば自家採取したものをお送りしますよ。

双子

電柱に烏集きて厄日かな

今年の二百十日は昨日の31日。

だいたい九月に入ってからというケースが多いようであるので意外であった。
おりしも台風8号、9号が近づいていて、双子型にも見えて相当強力な勢力になるとのこと。
雨よりも風が恐い当地である。

おわら最終日

水足りて暗渠を奔る厄日かな

段々の田圃の水があふれて暗渠に奔っている。

今のところ水は十分足りているようであるが、一方で南の海で次々と台風が生まれているという。
今がちょうど稲の花どきで、農家としてはここしばらくは心穏やかならない心境だろう。
二百十日、二百二十日とはまさにそういう時期で、厄日として季語にもなるほど農事と深く結びついてきた我が国の暮らしには無事に乗り越えたいという強い願いも込められている。
折しも、当地にはカンカン照りの日が戻ってきたが、ニュースによれば広島、岡山両県のあたりが豪雨とも。佐賀など北九州の豪雨禍の傷跡もまだ生々しく、これ以上被害が拡散しないよう祈るばかりだ。

風鎮めのおわら風の盆は今宵が最終日。胡弓の音と踊り手の手の動きが妙に切ない流しが夜明け近くまで続く。

台風21号

献血車より痩躯出でくる厄日かな

二百十日。

折しも、まさに、超特大の台風が迫っている。
火曜、水曜にかけて上陸しそうだというので、恒例のまほろば吟行が気にかかる。
動向を見て月曜日の昼までには決行か中止かを決めなければならない。
会員のほとんどはパソコンを使えないので、こういうときの連絡手段が電話しかないというのはいかにも面倒だ。
せめてショートメールがこなせればいいのだが。
会員がどんどん高齢化するばかりの俳句会というのも、ある意味危機的ではある。

依存症

駅前に献血車ゐる厄日かな

どういうわけか、若い人が見えなかった。

中年ばかりが並ぶ献血車におや?となったが、とりあえずは関係者が率先して献血しているのかもしれない。
この歳では献血を申し出ても即座に遠慮くださいと言われるに決まってるが、それでも健康なうちはできるなら献血したい。
若い頃は自分でもびっくりするくらい短時間で終了したもので、看護師さんからも「よく出ますね」とほめられたものだが、近頃は血液検査のために抜くにも時間がかかるようになったと実感している。多かった血の気も今ではすっかり牙を抜かれてしまったということか。
入社後数年は職場に来る献血車に何度も足を運んだものの、転勤になったりするうちに遠ざかってしまい、献血手帳もどこかへ失せてしまった。

あれこれ思い起こすことも多い献血であるが、できるなら輸血のお世話にならないで済むにこしたことはない。

「厄日」は「二百十日」の傍題。
農業被害関連季語なので、献血は直接関係ないようだけど。どちらかと言えば震災忌だろうが、それも付きすぎで。
災害と言えば、輸血用血液も大事だが、最近では薬不足になったり、薬の供給が思うに任せないことが話題に上る。薬依存の身としてはちょっぴり気になる話ではある。