敗荷の昨夜の名残の雨光る
蓮根がうまい。
歯ごたえもさくさくと軽く食べやすい。新蓮根の季節である。
幸いにも歯には問題ないし、いまだ嚥下機能には困らないので、よく噛みしめて味えば旨さがさらに増してくる。
もともと旬のものをいただくことは、夏には体を冷やし、冬には温めるという天恵の理にかなうことである。
原点に帰って季節のものをいただくことが持続可能性のある生き方であると言えよう。
ひるがえって急にSDGsという言葉を聞くようになった。国連のSustainable Development Goalsという2030年までに達成しようと言う目標らしいが、2050年までに脱炭素社会の実現をという現政権の目論見との関わりはどうなってるんだろうかと頭を捻るばかりなんだが、さて。
SDGs(持続可能な開発目標)の略称とか、初めて知りました。
持続可能はよく聞く言葉ですがなんだかよくわかりません。
旬のものを美味しくいただく昔の食習慣を実行していれば難しく考えなくとも自然に国際社会の共通目標に近づくのではないでしょうか?
地球の裏側から高い燃料費を使って運ばれたものを嬉々として食べたり飲んだり。人口爆発して、みんながそれを真似れば環境に負荷をかけるばかりで地球が持たないのは自明の理。
なんでもかでもグローバルというのも限界がありそうです。
敗荷の昨夜の名残の雨光る
「敗荷」が分からないので調べたら、“やれはす”、葉の破れたハス、と。
枯れていくハスが 敗けていくハスか。でも、ボロボロになったハスに、雨粒が残るかなぁなんて、思ったりして・・・・。
新蓮根を食べたくなりました。
「敗荷」は晩秋の季語、冬になると尾羽打ち枯らして、まるで骨だけになった破れ傘のような「枯蓮」となります。敗荷は枯れてはいないが、実をとっくに飛ばした名残の花托をつけたまま葉が裂けてボロボロになりかけているもの。
俳人というのはこういうのを詠むが好きなんですねえ。