墓参りすませ気持ちの一区切り
墓参りする前とすませた後の気持ちのあり方というのは明らかに違うと思う。
墓前に向かうまでは神妙で言葉も少ないが、手を合わせたあとは急に気が楽になったような不思議な達成感みたいなものがあって、一同がとたんに饒舌になり開放感に満たされるような。
今日の高速道は故郷で墓参りをすませた人たちを大勢乗せたUターンラッシュ。
所用のためこともあろうにこんな日に上り線を走ってきたのだが、かつて自宅へ「帰る」道であった上り線が今日は「往き」という、前後左右とも関東ナンバーばかりの中に混じって、なんとも不思議な感覚に襲われたのだった。
確かにそんな気持ちがありますね。
肩の荷を下ろしたような、そして御無沙汰を詫びた後のような気持ち。
渋滞はしんどかったけど一仕事終えたようなすっきりした気持ちになりました。
孫が柄杓の取り合いで喧嘩をする始末。
墓場の下でさぞや御先祖様も苦笑の思いでしょう。
年に一度だからできるけど、毎月ならこうはいかない。
やはり「盆暮れ」というように大きな節目だから気分も改まるというものです。
年に一回くらいはご先祖様に思いをいたすことに意味があるのでしょう。
「帰る」と「往く」、面白いですね。現在の住処によって、またその時の心の在り方によって、どちらを使うかが異なりますものね。
それにしても大変な時期の上り線利用でしたね。お疲れになったことでしょう。
今日も猛暑日だそうです。気を付けましょう。
15日がUターンラッシュのピークと聞いていた割には空いていて拍子抜けするくらいで助かりました。ですが、今日の日差しの強かったこと。関東はこれからが暑いのではないでしょうか。
ご先祖の墓は広島県の江田島(海軍兵学校のあったところ)にあり、広島にいたころは家族皆で墓参りに毎年行き、祖父の家や親戚の家に泊まり、おいしいスイカを食べたり、海で泳いだり、子供にとっては楽しい行事でした。
最近は樹木葬や海での散骨など、お墓にこだわらないやり方が一つの流れになりつつあるようです。時代の流れかな?この先お墓参りという風習はどうなるんでしょうね。
私ら夫婦も狭くてうら寂しい墓なんぞに埋めてもらうより樹木葬とかのほうがいいかもね、なんて話題になります。
昔尊敬する方が散骨を希望され、「それなら一体どこへお参りに行ったらいいのか」と問うたら「思い出した場所が俺の墓だと思ってくれ」と返されたことがありました。
いかにも詩人らしい言葉に思わず唸ったものでした。
そうか、「墓参り」=盆の行事→秋の季語ですか。知りませんでした。となると秋の彼岸には使えるけど春の彼岸には使わない方がいいんでしょうかね。それにしてもよく歳時記読んでますね、いつも感心してます。
一日一句ですから、歳時記なしは考えられませんね。
最近はもっぱら「ホトトギス新歳時記」のお世話になってます。
あれこれ多くないのがいいですね。
いざとなればgoogle先生に聞けば何でも教えてくれますし。