生きた証

朝寒や回収袋の遺品かな

病院からそのまま着の身着のままで我が家にやってきた母。

葬式を終えたばかりの朝、すでに遺品となったいくらもない衣類が無造作に黒いポリ袋に放り込まれていた。

“生きた証” への11件の返信

  1. シンプルな生き方をなさっていたのですね。
    でも遺品がポリ袋に・・・何だか寂しい光景ですね。

    私もこの夏、実家で母の衣類をごみ袋に10個ぐらい整理しましたが回収場所に持っていくのがしのびなくいつまでも眺めていました。
    何やら母を見捨てるように思えたのです。
    思い出の品もいっぱいあったでしょうに、何もそんなに早く始末しくてもよかったのに、と今は後悔です。

    1. 残りの遺品は三重にいる妹に任せました。私の若い頃の日記などもあるはずですが、何も言わず処分してもらいましょう。

  2. そうか、朝寒って秋の季語なんですね。大事な人をなくした秋、寒さも普段とは違うかもしれません。どうぞ風邪などひかないよう注意して下さい。

  3. 実母と義母との違いでしょうか。
    寂しいもんですね。
    奈良は黒い袋なんでしょうか。
    黒っていうのがまた何とも言えません(+o+)

  4. 黒いポリ袋に無造作に衣類が入っている様子は、何となく切ない感じがしてきますね。
    小生も父親が亡くなった後、母親と父の残したものを整理しましたが、衣類や趣味の釣り道具、戦地での写真、カメラ等、捨てるものと残すものの仕分けに苦労しました。小生の手元にはオメガの腕時計を残してありますが、机の引き出しにしまったまま眠っています。
    母親については、施設に入るにあたり、実家の整理整頓をして、本当に必要な身の回りのものや、思い出の品に限定して施設に持たせ、残りは処分しました。あとが大変ですからね。
    近年”断捨離”が流行り言葉になっていますが、自分の子供達のためにも普段から少しずつ不要なものを整理しておくことが必要だなと、この頃感じています。

    1. 本当です。ものをいくら持っていたとして何になるのか。今大事なものさえあれば十分な気がします。何十もある背広を何とかせいと言われてるのは私です。

  5. せつない句ですねえ。 私は近所なので今でもほぼ毎日、母の住んでいた家に行き仏壇に南無阿弥陀仏をとなえます。 遺品は少しずつ整理していますが、最終的にはほとんど捨てることになると思います。 全部を一時に捨てることができないのです。 

    1. 皆さんのコメントを拝見して私はなんてことをしてしまったのだと今更のように悔いています。
      母の許可を得たとはいえ、病気の問屋のような母とはいえ、未だ意志の疎通はしっかしているのに早々と整理してしまったのです。
      お母さん、ごめんなさい・・・

    2. 自分の手ではなかなか捨てられないものなのかもしれないですね。刻がきたら第三者に整理してもらうというのも一つの手でしょう。いずれにしろ、気持ちの整理とともにですが。

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