露けしや象の小川の屋形橋
万葉に多く歌われた渓流・象の小川そばに桜木神社がある。
大己貴命・少彦名命(つまり大国主)と天武天皇を祀った神社で、ごくせまい山あいに建てられているのでさして広くはない。
社名の由来は、天武が壬申の乱のとき大海人皇子として大津から逃れてきたとき討手から身を守るために、とっさに隠れたのがこの社にあった桜の木だったという伝説にちなむ。
神社へのアプローチは象の小川を渡ることになるが、両岸に多くの木が覆うようにしているのでたいそう鬱蒼としていて、橋はいったん道路より数段低いところに降りて、渡ったらまた階段を登って境内にあがるようになっていて、屋形とよばれる屋根をかけた大変珍しい形をしている。
このあたりはしじゅう川霧がたちこめ、露にも濡れて湿っぽいうえ、杉など周りの木々から落ちる葉なども散り敷くので、それらから守られているかのようだ。
今年は何句か「露けし」の句を詠んでるが、この橋は文字通り露に濡れがちなのである。
昨日と言い今日と言いやはり奈良の歴史は奥深く見どころもいっぱいで興味深いです。
その分、伝説も数多くあるのでしょう。
歴史とロマンに秘められたこの時代魅力的ですね。
なるほど鬱そうとした感じですね。
象の小川、水分神社が水源らしいですね。
この上流を1キロほど行くと、昨日書いた東海自然歩道吉野ルートの登り口にさしかかります。奈良にはいくつかの水分神社がありますが、これは吉野の水分神社につながるルートです。上千本を経由して金峯山寺まで吉野山をぐるっと一周するルートですね。
応神天皇の話もありますし、いわゆる「ちはやぶる神代」から天武・持統天皇、南朝後醍醐帝、義経等々いろいろ伝説のおおい場所ですね。
鬱蒼とした奥地、露けしが似合いますね。
古代が好きだから奈良に移ったのか奈良に移ったから古代が好きになったのか。よかったですね。楽しそう。俳句を縦糸に古代を横糸にホダカワールドを編み上げてください。
「奈良暮らし」のページに書いたことですが、脈絡もなく飛鳥朝以前のことに興味をそそられてしまうんですね。思考的にも国家そのものがまだ成立せず、仏教もいまだ流布せず統一した倫理観、価値観もない時代、覇権をめぐって欲望や思うところに従って行動したように思われる人々、あるいは個人的な魅力で連合国家を率いていたというイメージがあって、そういう人間の本性みたいなものに惹かれるせいでしょうか。
平安朝のような洗練された価値観、様式美に対して、国家という基盤のない不安定さ、脆さ、混沌のなかの素直な心の発露としての万葉というのも大きな魅力です。
非力な私はその一端にふれるだけで十分に満足しています。
「奈良暮らしから」再度読み直してみました。
なるほど、いかにもさもありなん。
ほだかさんの思いが伝わってくる言葉でした。
万葉回帰とでも言えましょうか。それは大和人の故郷回帰にも通じるものを感じました。
もう何年前でしょうか。鷹の渡りをみようと足柄峠に行ったことがあります。
当時東国から西へのぼるには、箱根は開発されてないのでこの足柄峠を通ります。この旧関にたってはるか関東平野を臨み、いよいよ見納めという防人の歌碑があったときも強く感動したものです。二度と帰れない旅、二度と会えない家族を思って任地に赴く古代人の気持ちは、現代の人には想像を絶するものがあります。万葉人の歌は魂をゆさぶるものが多くて、ストレートに心に沁みてきます。
一泊二日で箱根仙石原の芒を見て、伊豆下田に行ってました。
連れ合いと連れ合いの友達夫婦の4人で廻りました。
最近では毎年恒例となった小旅行です。
下田の鍋田浜付近で3センチくらいの西瓜みたいな実がついた蔓性の植物をみつけました。
帰宅してから調べたところ南蛮烏瓜の一種でウリボウともいうらしいです。
私のは美味しい食べ物と風景が目的の旅ですが、ほだかさんのは古代からの歴史が詰まっていますね。
写真の「屋形橋」いいですね。行って渡ってみたいです。
ここを渡れば古代人になれそうな気がします。
この時期はどこへ出かけてもいい旅行になりますね。美味しいものを食べて、きれいなものを愛でる。ツルレイシとも呼ばれるライチの仲間なんですね。皮に特徴があって、ただの烏瓜とは違うのが分かります。
雨乞いの霊地でもあった宮滝周辺のハイキングは3時間くらいだそうです。万葉の世界にどっぷり浸れますよ。