パロディ句

天高し奈良にふたつの大宮趾

パロディである。

原典はご存じ芭蕉さんの「菊の香や奈良には古き仏たち」。
だだっ広い草原となった藤原京では、虫だの限られた素材に絞られた句ばかりになるだろうと予想して、奈良盆地全体を俯瞰するような気分で作ってみた。
当然選はもらえないものと思っていたが、なかには酔狂な人もいたもので一票いただいた。

ほんとに、平城京といい、藤原京といい、なんにもないスペースをこれだけ確保したのは、外の県ではどこにもないだろう。

“パロディ句” への6件の返信

  1. 大らかな句で良いと思いますよ。
    平城京も藤原京もどんな所か知りませんがこの句から空にも負けないくらいとてつもない広大な空間がイメージできます。

    1. 何にもない藤原京趾に立ちますと、東は香久山、西は畝傍、北は耳成に囲まれた素晴らしい立地だということが分かります。
      長安を真似た都で、東西南北4,5キロはあったとされています。持統は天武の念願でもあった、あの狭い飛鳥を出て、やっと外国にまけない都が完成したことを感慨をもって遷都したのではないでしょうか。

  2. 今は何もない一面の草の原の藤原京に立って、はるか昔の大宮人になったつもりで詠むというのはどうなのでしょうか?
    その時代を現在と考えるのです。
    単なる遊び、想像句だと切り捨てられるのかな?

    1. いいアイデアですよ。志貴皇子の「采女の袖吹き返す明日香風都を遠みいたずらに吹く」など、過去を詠んだ歌がありますからね。
      ためいき会の「長明」という実名ではどうかなという気がしましたが、当時の官人になったつもりの句なんかいいんじゃないでしょうか。

  3. 狭い飛鳥京から広い藤原京へ。持統はしてやったりと思ったことでしょう。遷都後10年も経たず持統は崩御、藤原京は20年足らずで平城京にとって替わられる。藤原京址は謎が多いのでしょうね。

    1. 飛鳥、藤原京では水洗トイレだったのが、平城京では汲み取り式になったとか。その後近年までずっと続いたわけですね。
      たしかに、飛鳥京址、藤原京址は立派な下水溝が敷設されていました。
      盆地は南から北へ傾斜してますから、南の庶民から北の貴族の館へ流れた汚物で、藤原京の貴族たちは辟易したとか。それも平城京遷都の原因という説も。いかにも本当らしい話で笑っちゃいます。

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