続いて、今年後半をみてみます。
回覧板届けるだけの日傘かな
投函を忘れし葉書梅雨湿り
口よりももの言ふ小津の団扇かな
勸請縄懸かる巨木の蝉時雨
秋茄子の水よく撥く紫紺かな
木犀の香は高塀の向かうより
庭園灯及ばぬ先のすがれ虫
隧道の洞へ綿虫消えしまま
数へ日やゲラにやたらの誤字脱字
煤掃やかくも埃のなかに棲み
前半とうってかわって10句に絞るのが大変でした。
今年も後半の部は実り多く充実した半年だったようです。
あえてベスト3に絞りますと、
1 回覧板届けるだけの日傘かな
2 隧道の洞へ綿虫消えしまま
3 数へ日やゲラにやたらの誤字脱字
回覧板の句は、一見擬人法的な用法ですが、そうではなくて、よほど暑かったか、あるいは日焼けするのがいやだったか、ほんの僅かの距離をゆくだけなのに日傘を使ったということを凝縮して言い表した面白さといいますか、俳句らしい表現となったのではないかと思います。
綿虫の句は、ちょっとした風にも運び去られてしまうような、いかにも賴りげない綿虫を、トンネルを吹きぬく風に吸い込まれてしまったように再び現れることがなかったと、その儚さをうまく言い当てることができたと思います。
数へ日の句は、暮れもいよいよ押し迫って、印刷所の仕事も殺到しているに違いありません。そこへギリギリに入稿したものですから初校は誤字脱字がふだんより多くなり、なお切迫感が増した感じが出せたのではないかと思います。活版印刷の時代、該当する活字がきれて、代わりに黒四角だけの、いわゆる「欠字」のままゲラ刷りを渡されたことを思い出しました。
全部言い切ったら俳句にならないと言われます。余白にものを言わせる文芸ですので、これからも自分だけの言葉を探す長い旅が続きます。ああ、あともうひとつ。古文法と歷史的仮名遣いの勉強もしなきゃね。超短詩形ゆえ、和歌ほど複雑で幅広い用法はありませんが、恥をかかない程度には。