遙拝

松過ぎて令和初めの詣なり

末の子が今日帰るという。

巳年で大神神社には縁があるとかで以前はよく詣でていたがコロナ禍で帰省もかなわず、おそらく令和になって初めての帰省、宮詣でになるはずである。
明日大神さんにお参りして明後日帰京するというあわただしさだが、いよいよオミクロン株旋風が席巻しそうなことでもありせいぜい疫病退散をお願いしておくのがよさそうである。
ちなみに、私ら夫婦はどういうわけかお参りした年にかぎっていいことがないというジンクスがあるので揃っての参拝は控えている。ましてコロナ禍でもあり、遠くから目に入る三輪山に向かって遙拝の儀礼で容赦願うことにする。

“遙拝” への2件の返信

  1. 朝晩の勤行が最大の祈願として日課になっている故に出かけなくても充分だと思っている。
    末っ子さんの久しぶりの帰郷は楽しみですね。
    今日はスーパー銭湯で朝ぶろ、昼食、昼寝まで済ませ夕方帰宅した。

    それにしても年々お正月も退屈なものになりつつある。
    ♪もういくつ寝るとお正月♪とうたった頃が遠い思い出になり懐かしい。

    1. 寺や神社となれば何を祈願するでもなくありがたく拝ませていただく。
      すがるような願いがないのが救い、生きる幸せです。

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