墨痕鮮やかに

講堂に高々掲げ書初す
書初のたかだか掲げ大講堂

年内にしっかり練習してきた文字をみんなに披露する。

体育館や講堂などに大人から子供たちらが集まる書き初め大会だ。
書き上げた半紙を保護者席に向けて高々掲げる子。
なかには「半切」と呼ばれる、子供の身長くらいもある本格的な書に挑む人もいる。

きちんと習っている子の作品を見ると、悪筆の私などには到底真似のできない立派なものだ。

“墨痕鮮やかに” への4件の返信

  1. 子どもの頃から良い師匠について大人まで継続している人の書はさすが基本ができているので美しく心に訴えるものがあります。
    それに比べ私のような60歳過ぎてからの手習いは遅々として趣味の域を超えません。
    紙の大きさ、質も様々で先日テレビの「和風総本家」で見たかな料紙を作る職人さんの技には圧倒されました。

    1. 書道の奥は広いというか、深いんでしょうね。でも、60の手習いというのはあくまで趣味でしょうから、いいものを見て、いい鑑賞ができる、そんなことが可能になれば楽しいんじゃないでしょうか。
      俳句にも同じことが言えます。

  2. 私には書は絵と同様手出しのできない高嶺のものです。
    書や絵をやらなかったのは受験に関係ないからでこれは自分の責任。無理にでもやらせてくれなかったのは親の責任でしょうか。子どもも失敗したので孫にはやらせたいのですが親が聞いてくれるかどうか。。

    1. 本人が好きかどうか。
      子供は、何かのプラスになるからという打算で稽古事を始めるわけでもないでしょうし。
      環境を与えてみて、興味を引かないようならパスでしょうねえ。

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