あのときの電話が最後春愁ひ

人生に悔恨というものがある。

もちろん、そんなものなどないと言う人もいるだろう。
いくつかある「悔い」のなかで、毎日のように心の隅でつぶやいているものがある。
学校を点々として親友というものがもてなかった僕にも、中学高校にわたって互いの家を行ききしたりして深くつきあうことができる友ができた。高校以降は別々の道を歩んだのだが、男とのつきあいなんてあっさりしたもので、帰省のおりなどたまに会おうかという具合でべたべたしたものではない。
ところが、人生の苦境に面したときなど何も言わずとも誰よりも心配してくれて電話やら、忙しいにかかわらず直接上京してあれこれケツをひっぱたいてくれて、元気をもらったものだった。

そんな気持ちの底でつながっているような関係が突然崩れたのは40代半ばのことだろうか。
ある春の夜何年ぶりかで電話がかかってきて、しばらく入院していたが無事退院したので会いたいと言うのだった。
僕も全国を飛び回っている仕事なのでその途中にでも寄るよとか答え、その後しばらく忙しさにかまけて忘れてしまっておるのだった。

ところが、ある日奥さんから彼がなくなった知らせを受け取って目をうたがった。
入院と言ったってそんなに重い病気とは夢にも思わなかったのだ。むしろ、商社の仕事で無理に無理を重ねた体をしばらく休めさせるにちょうどいいくらいに考えていたのである。

大切なものは失ってからでないと気づかない。
すまなさと悔やんでも悔やみきれない気持ちが澱のように心の底に沈んでいる。

“澱” への5件の返信

  1. 人生誰にも大なり小なり悔やんでも悔やみきれない「悔恨」というものはあるように思います。
    そんなものはないと言ってもそれは心のどこかで忘れたい願望があるだけのように思います。

    小中、高校時代、社会人、高齢とそれぞれ個性ある友人には恵まれたほうだと思います。
    それらは50年以上続いている人もあれば期間は短くともかけがえのない友、そして尊敬する師にもであえた。
    総じていい人間関係を築くことができたことは感謝すべきことである。
    高齢になってからはブログ等、昔には想像もしなかった友人たちから未知の世界へと導かれた。
    しょっちゅう出会ったり深いお付き合いではないけれど大切に末永く継続できればいいな~と思う今日この頃である。

    1. つたないブログに毎日おつきあいいただいて、いくら感謝しても感謝し足りないくらいです。
      自分の恥をさらすようなことばかり書いて、ちっとは世の中のためになるようなことをしろよと言われそうですが、ある意味私が世の中とつながっているのがこのブログであり、俳句なのです。
      俳句も一人勝手に詠んでいたいのですが、結社のなかにあってはそうもいかず、今月からは運営にも一部携わることとなりました。
      業界はご多聞にもれず高齢化が進む一方で、一度引き受けたら最後後進の発掘すら難しい状況で悩んだのですが、誰かがやらねば俳句自体を続けることもできず止むなく引き受ける決心をしたわけです。

      ところが、現実というのはまことに厳しいもので、今月のネット句会の評をごらんになってお分かりになる通り、折れるところまではいきませんが心があやうく折れ曲がりそうになります(笑)
      それでもめげず、毎日一歩づつ、俳句におのれを反映すべく奮闘の毎日を送りたいと思います。

  2. お題「霞」のようなおぼつかないものを詠むのは結構難しいですよね。
    純也先生の批評も厳しいものでしたね。
    私など「霞立つ」とか「霞か雲か」ぐらいしか思いつきません・・・

    何らかの役割を担うことは責任感も伴うし自身の成長のためにはいいことかもしれません。
    会のためにもご尽力ください。

  3. あのときの電話が最後春愁ひ

    「あのとき」と言う語が 身に沁みます。

    「あのときのテニス」で もう少し、打ちやすい返球をしておけば
       良かった、
    「あのときの飲み会」で もう少し、本音を言っておけば
       良かった、
    「散歩の あのときの出会い」で もう少し、お体のことを聴いて
       置けば良かった、

     etcetc。 

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