砂噛んでけふの浅蜊は外れなり
久しぶりに夕飯に浅蜊が出た。
大好物なんだが、最近ではスーパー経由でしか手に入らなくて、少量がきれいにパックされて清潔感はあるのだが逆に粒がきれいに揃っているなど工業化感が強くて味気ないような気がする。
子供の頃よく食べたのは大きさもまちまちで、鍋に入れたのが元気に砂を吐いて鮮度もいかにもよかった。
食べる前に洗うとびっくりするくらいの砂と汚れが取れて、いかにもさあ食ってくれと言わんばかりなのである。
そんな次第だからなかには既に死んでいて蓋が開かないもの、代わりに砂で埋まってるもの、そして吐ききらない砂があるものなどあっても、鮮度には文句がなく旨いもんだから我慢できたものだし、そんなもんだと思ってもいた。餌食となった蟹の赤ちゃんが出てくるところなどむしろ漁場を近く感じもし好ましいものであった。
ところが、工業化感たっぷりの最近のものは鮮度による旨さをはなから諦めているだけに、食べてみてちょっとでも砂を噛もうものならそれは怒りに近いものになる。誰にあたってもしょうがないのであるが、こうなれば自ら浅蜊掘りに行くしかない。が、面白いように採れた浜などとっくに姿を消して、やはりこの50年の間に失ったものは大きいと思わざるを得ないのである。
子どもたちがヨチヨチ歩きの頃からほぼ毎年のように潮干狩りに出かけていた。
それほど潮干狩りが大好きでアサリも大好物だった。
知多半島の海岸で最後のアサリ採りをしたのはもう5年以上前になるだろうか?
三河湾の赤潮発生や生育不良で獲れなくなってから久しい。
深夜に音をたてながら砂を吐いていた元気なアサリが懐かしい!!
昔は浜はみんなのものでした。それが埋め立てや工業地帯などできて庶民が立ち入れなくなったりして、人が接することのできる海岸線が極端に減っています。
辛うじて残った海岸線も、川の上流でダムができたりするなどの影響ですっかり面影を変えてしまいました。
気がついたら自然体系が崩れていて、新たな微生物の逆襲を受けているとは皮肉なものです。