冠木門見越しに闌ける白木蓮
旧家の中庭に立派な白木蓮がたけなはのときを迎えている。
と言うか、部分的には錆が出てはや盛りを過ぎているようでもある。
振り返ってみるほど立派な木蓮だが、それ以上に驚いたのはときの速さで、家に籠もっている間にどんどんときに置いて行かれるような焦燥感に襲われている自分を発見したことだった。
町民農園には耕人の姿もちらほらと見られ、暮から捨て置かれた畑には菜の花の黄が目立つ。
蝶の姿はどういうわけかあまり見ない。虫たちだってときに置いていかれているのではないかもしれない。
この辺りのお百姓さんでも時々冠木門の旧家が見られます。
やはりその奥には立派な庭木があったりします。
籠っているうちに発見して驚くのは私の場合、家が壊され更地になりそしてあっという間に家が建ち始めていることです。
古家解体してすぐに新築が始まるのならいい方かもしれません。いまは古屋放置が社会問題になってますからね。
でも、どうして日本の家は数十年しかもたないんでしょうね。古くから大王が替わるたび都を打ち棄てて次から次に遷都してきた歴史とも相通じるところがあるかもしれません。