異なる時間

つばくらの集団下校かすめけり

登下校の見守り隊。

ボランティア活動として行っているかと思いきや、着ているジャケットは当町のシルバーバンクのものであった。
毎日の登下校を確実に安全に子供たちをエスコートするとなるとボランティアの善意だけに頼ることはできないということだろう。町から幾分かの費用が出てこうした見守り隊を支えているようである。
小学校の駐車場からマイクロバスが出てきて、児童をのせて出て行った。
駅前の学童保育預かり施設の送迎バスだった。
校門を出たら見守り隊に付き添われて帰宅するグループ、送迎バスで保育所に向かう子供たち。
放課後は地域の悪ガキどもといろんな遊びをして育った我々とはまったく異なる時間を過ごす今どきの子供を見るにつけ、この子たちから見える将来もまた我々とはずいぶん違う景色なんだろうかと思う。

“異なる時間” への4件の返信

  1. 孫たちも大きくなったので接触する機会はほとんどありませんがたまに会うと今の世代は大きく様変わりしたことを感じます。
    どちらが良いのかは別として生きづらいことだな~と思います。

    放課後の児童はトワイライトスクールや学童保育に加え民間の有料子ども支援施設まであるようです。
    何だか介護支援施設のこども版に思えてなりません。

    1. かててくわえてこのコロナ禍ではますます友だちとの距離が開きます。さまざまな環境問題といい、この国の衰退ぶりといい、明るい希望をいだくことはますます難しくなりそうです。

  2. つばくらの集団下校かすめけり

    ほだかさんの解説文を読んで、少々驚きました。
    私は、日本では、小学生の下校が(今でも)子供たちだけで、三々五々、ぶらぶら帰って行くのが、とても不可解。欧米は大半がスクールバスや自家用車での登下校、中国、台湾始め東南アジアでも、校門前は(毎日)子供たちの送迎の人で大変な騒ぎになります。
    日本は、いまだに独特なムラ社会の相互監視の習慣が残っていると思う人が多いのか、登校時には見守隊がいますが、下校時はほったらかし!

    「子供は、ほったらかし」と言えば、保育園や学童の不足は言わずもがな、あらゆる点で、金も機会も惜しむなく提供しない日本(人)の子供に対する、お粗末さ、貧困さは、アフリカ並みと思います。

    1. ほったらかし政策のいっぽうで、型にはめた教育、指導要領で、いまさら大量生産型の考えることのできない人材づくりをしているようでは、世界からますます取り残されるのが見えてきます。
      コロナ禍で見えてきたこの国の底の浅さ。もう時間がないんですけどね。
      サプライズもない訪米成果。身内からも見捨てられるんじゃないですか。

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