音羽も雪化粧

春寒や樹勢弱りしご神木

葛城、御所をぐるっとドライブしてきた。

竹内街道沿いのペット霊園で愛猫の一周忌を済ませてから国道165号線交差点まで戻り、ちょうど葛城山の麓をいくような感じでそのまま南下していくとやがて葛城を過ぎ御所市に達する。目的地は雄略天皇とのエピソードで有名な神様が祀られている葛城一言主神社。神様なのに、葛城から吉野に架ける岩橋工事の働きが悪いといって役行者に罰せられたというちょっと人間くさいのが面白い。母の喪中でもあるのでお詣りはしないが、樹齢1,200年といわれる乳銀杏と言われる大銀杏がどんなものか見たかったのだ。

葛木一言主神社の乳銀杏
なるほど、これが名の通り「垂乳根」だと思われる、直径10センチ、長さ30センチくらいの気根のようなものが何本も垂れ下がっている。調査ではご神木の芯の部分が相当痛んでいて治療が行われているそうだが、見た目にも痛々しい。鎌倉八幡宮のもそうだったが、いくら長寿とはいえ生き物は生き物である。いつかは倒壊する。それまでには秋の黄葉を目に焼き付けておく必要がありそうだ。

葛城氏の祖といわれる葛城襲津彦。その伝説の弓にかけて乙女のこころを詠んだ歌(万葉集 巻11-2639)。その歌碑が神社境内にあった。
葛城一言主神社の万葉歌碑
碑歌説明

せっかくここまできたので、車はさらに南下して高鴨神社まで。南へ行けば行くほどなぜか道路はどんどん高度を上げてゆく。右の葛城、金剛の山がすぐそばに迫ってくるような迫力満点な道で、しかも棚田か段々畑なのか、ずっと山頂の方に向かって広がっている。
弥生後期には既に人が生活を営んでいたという案内板もあり、ほかに適した土地もあろうになぜこんな高地に人が住んだのか首をかしげるばかりである。神武がこの辺りを平らげたとき土蜘蛛と呼ばれる人たちがいて穴に住んでいたという伝説があるが、これだけ起伏に富んだ土地ならば穴居に適した洞窟がかしこにあってもおかしくはないと思われた。

左に目を転じると吉野から大峰にかけて、そして多武峰の向こう音羽の山々がきれいに雪化粧しているのがよく見える。ここ2,3日のあいだにまた雪が降ったようだ。このあたり、高度の関係もあるのか、金剛の山裾のせいか、寒い,寒い。

下の方を走る24号線に出て帰ることにした。次回は暖かくなってきたら、さらにこの先へ、眼下に見える山の先、つらつら椿の五条巨勢まで足を伸ばしてみようかな。

“音羽も雪化粧” への6件の返信

  1. 司馬遼太郎の「街道をゆく」に竹内街道、葛城みちが出てきますね。
    母上のふるさとであったような気がしますが・・・

    やはり何処をとっても奈良は歴史に繋がる場所なのですね。
    山並みの雪化粧の美しさも冬ならでこそ、寒さもここが峠でしょうか?
    今日は風もおさまり陽射しが感じられます。

      巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を
    万葉集の歌、五条なんですか?

    1. 初回が竹内街道でしたね。奈良盆地を車で走らせると、地形の複雑さをいつも感じます。三重の平野部出身だったり、長く関東に住んだ者から見ると平坦な部分が少ないのは当然としても、突然に前面や左右が持ち上がったり下がったりというか、立体的な空間に潜り込んだというか、土地の高低差を感ぜずにおられないような不思議な感覚に襲われるときがあります。大和の西出口に住んでると当然相対的に盆地の低い部分にいるので、たとえば飛鳥や葛城などの南部から、あるいは奈良市など北部からみるとまるで山の高さのイメージが違っていたりすることに驚くことがあります。
      たとえば御所の高鴨神社あたりからみると、青垣と言われる大和高原の山や生駒山の低いこと,低いこと。ここら辺りは相当高度があるのだと思われます。

      巨勢は御所市でしたね。道一本勘違いしてました。葛城下の国道24号からさらに一山越えた吉野口あたりのことを言うようです。この辺りはJR和歌山線と近鉄吉野線が併走するような谷間です。
      御所市観光ホームページ

  2. 樹齢1200年の大銀杏ですか。さすが古都ですね。
    鎌倉の大銀杏が倒れる前の年に、鎌倉八幡宮に行った折に、大銀杏を見ながら石段を上りましたが、まさか強風で倒れるなんて想像もできませんでしたね。今年の秋に美しい黄葉をしっかり目に焼き付けておいた方がいいですよ。
    ちょっとドライブすればいろんな神様や遺跡等に会えるなんていいですね。ドライブの楽しみが増えますね。今日はこのあたり、次回はここと、しっかりした計画を立てて、奈良の名所・旧跡をすべて制覇してください。そのうち検定試験を受けてもいいのでは?

    1. 今年の奈良検定を受けるつもりでいたのに、うっかり受付締切を過ごしてしまいました。年1回きりしかないので来年1月こそ、まずは2級から受けねばなりません。マイスターに辿り着くには最低でも3年かかるという寸法です。
      俳句会の吟行が毎月あるので、それだけでも年間結構な数を訪問できそうです。

  3. 大和路逍遥記、読ませてもらいました。普通の観光客では奈良市内プラスせいぜい飛鳥地方ぐらいしか行けません。御所・五條は歴史小説なんかで名前はよく聞くのですが。春になったら益々動きやすくなりますね。また聞かせてください。

    1. 葛城から橿原にかけては神武王朝のメイン舞台です。それだけ当時の葛城氏の力が大きかったということですが、10代の崇神天皇に至るまで王朝の謎も多く記紀の話も絡んで特別にロマンをかき立てられるエリアでもあります。今度は時間をかけてゆっくり見て回りたいと思います。

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