動かない日

春寒の音たてすする茶粥かな
細き雨宙に吹き上げ春寒し

天気予報とは裏腹にまたも寒い一日だった。

おまけにときに小雨がぱらつき、これが北風に舞いあげられるというおまけまでつく寒さだ。
三月とはいえ風の冷たさに畑に出ることもためらわれる。
室内もかろうじて気温17度と暖房を入れる入れないの境目。猫どもに急かされていつもより早めのスウィッチが入り、足元を温めているうちにいつの間にかうつらうつらと。
動かない一日に、腹に軽くすませる茶粥となった。

三重苦

春寒や工事夫潜るマンホール

連日のように工事が続く。

電線など電気設備の更新だという前触れがあったが、去年から何度も工事車両が道路をふさぐことが続いている。
間もなく期末だからと邪推の念さえわいてくるほど、長い工事である。
おかげで猛スピードで駆け抜けてゆく車がないので安心ではあるが、車の出入りが制約される家ではいい迷惑となる。
明日は3月下旬の陽気が戻るそうだが、花粉、PM2.5、黄砂の三重苦になるという予報。
ほどよい気候というのはなかなか得られない時代である。

体感温度

干からびし鵙のはやにえ春寒し

野鳥の会の探鳥会に参加した。

場所はいつもの散歩コース。
行くたびにいろんな鳥を見るのだが、名前の分からないものが多いのでいい機会だと思ったからだ。
見つけられた種類は35。一人で歩いているととても見つけられない遠くのものや、藪の中のものなど、ベテランがつぎつぎに教えてくれる。鷹にいたっては大鷹、ハイタカ、チョーゲンボウと豪華な配役で。
はやにえの現物を教えてくれたのも会の指導員の方だ。
枝に刺しておいたものの食べられずに放置されていたのか、干からびてしまったバッタなど。
天気予報では12度とあったので、昨日同様暖かいかと比較的軽装で出たのだが、風が強くなって体感温度が下がる一方で辛い探鳥会となったが、歩数一万三千歩をなんとかクリアできて今日はよく寝られそうだ。

隠国の谷

春寒や長谷の舞台の前のめる

あの舞台というのは、水平ではない。

堂から谷に向けて想像以上の傾斜がついているのだ。
おそらく、排水を考えてのことだと思われる。
だから、雨や雪などが残っていると気をつけなければいけない。

これから花の寺としての本領発揮の時期を迎えるまでのひととき、隠国の谷にはまだまだ寒い日が続く。

八幡さんを守るもの

竹林の骨の軋みて春寒し

竹林は大騒ぎである。

風まだ冷たく高さおよそ10メートルに達しようかという孟宗竹が右に左に揺さぶられている。まるでこちらに倒れてくるのではないかというくらい揺れている。そしてその竹のバキバキという音はまるで骨を軋ませた悲鳴のようでもある。

竹林は身をもって重文の八幡さん社殿の後背を守っている。

乾いた音

春寒の風に端山の休まらず
竹林のばきばき軋み春寒し

孟宗竹の林からばきばきと竹の軋む音がする。

おりからの北風に大きな竹があおられて太い幹どおしが擦れ合う音のようだ。中空な竹独特の乾いた音が竹林のなかで響き合うように鳴っている。
今日はしっかり冬構えして出かけてきた散歩だが、冷たい風に耳がちぎれそうである。

音羽も雪化粧

春寒や樹勢弱りしご神木

葛城、御所をぐるっとドライブしてきた。

竹内街道沿いのペット霊園で愛猫の一周忌を済ませてから国道165号線交差点まで戻り、ちょうど葛城山の麓をいくような感じでそのまま南下していくとやがて葛城を過ぎ御所市に達する。目的地は雄略天皇とのエピソードで有名な神様が祀られている葛城一言主神社。神様なのに、葛城から吉野に架ける岩橋工事の働きが悪いといって役行者に罰せられたというちょっと人間くさいのが面白い。母の喪中でもあるのでお詣りはしないが、樹齢1,200年といわれる乳銀杏と言われる大銀杏がどんなものか見たかったのだ。

葛木一言主神社の乳銀杏
なるほど、これが名の通り「垂乳根」だと思われる、直径10センチ、長さ30センチくらいの気根のようなものが何本も垂れ下がっている。調査ではご神木の芯の部分が相当痛んでいて治療が行われているそうだが、見た目にも痛々しい。鎌倉八幡宮のもそうだったが、いくら長寿とはいえ生き物は生き物である。いつかは倒壊する。それまでには秋の黄葉を目に焼き付けておく必要がありそうだ。

葛城氏の祖といわれる葛城襲津彦。その伝説の弓にかけて乙女のこころを詠んだ歌(万葉集 巻11-2639)。その歌碑が神社境内にあった。
葛城一言主神社の万葉歌碑
碑歌説明

せっかくここまできたので、車はさらに南下して高鴨神社まで。南へ行けば行くほどなぜか道路はどんどん高度を上げてゆく。右の葛城、金剛の山がすぐそばに迫ってくるような迫力満点な道で、しかも棚田か段々畑なのか、ずっと山頂の方に向かって広がっている。
弥生後期には既に人が生活を営んでいたという案内板もあり、ほかに適した土地もあろうになぜこんな高地に人が住んだのか首をかしげるばかりである。神武がこの辺りを平らげたとき土蜘蛛と呼ばれる人たちがいて穴に住んでいたという伝説があるが、これだけ起伏に富んだ土地ならば穴居に適した洞窟がかしこにあってもおかしくはないと思われた。

左に目を転じると吉野から大峰にかけて、そして多武峰の向こう音羽の山々がきれいに雪化粧しているのがよく見える。ここ2,3日のあいだにまた雪が降ったようだ。このあたり、高度の関係もあるのか、金剛の山裾のせいか、寒い,寒い。

下の方を走る24号線に出て帰ることにした。次回は暖かくなってきたら、さらにこの先へ、眼下に見える山の先、つらつら椿の五条巨勢まで足を伸ばしてみようかな。