乱るるも予定調和か萩若葉
萩の芽が日に日に伸びている。
しかも直立したまま50センチ近くまでになり、これがあの萩の若葉の姿なのかとあらためて驚いている。
1メートルも伸びてくるとやがて己が姿勢を保てなくなって各枝が乱れ、それがまたかえって優美な姿として楽しませてくれるわけだが、茎が柔らかくても背筋をピンと伸ばした姿もなかなかいいものだ。
追)また今日もちょっと赤くなったばかりの苺がちぎられていました。犯人は誰なんだろうな。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
乱るるも予定調和か萩若葉
萩の芽が日に日に伸びている。
しかも直立したまま50センチ近くまでになり、これがあの萩の若葉の姿なのかとあらためて驚いている。
1メートルも伸びてくるとやがて己が姿勢を保てなくなって各枝が乱れ、それがまたかえって優美な姿として楽しませてくれるわけだが、茎が柔らかくても背筋をピンと伸ばした姿もなかなかいいものだ。
追)また今日もちょっと赤くなったばかりの苺がちぎられていました。犯人は誰なんだろうな。
萩の若葉というのはあまり見たことがないのですが秋とは対象的な姿なのですね。
若々しく凛とした姿から優雅な姿へ・・・良いですね。
私もかくありたい・・・
田舎の山並みもすっかり目覚めてそれは美しいなだらかな稜線を描いておりました。
さみどり、きみどり わかみどり ふかみどり、ありとあらゆる緑の絵の具を流したような山容。
どんな立派な画伯の絵も及ばないような姿に惚れ惚れ。
この時期の田舎の山が一番好きです。
森林の奥まった場所では鶯の声も澄んだ音色で谷にこだまして二重奏。
ここでは携帯も圏外になっていました。
先ほど、23号線の弥富(鍋田干拓周辺)辺りではもう田植えが済んでいて驚きました。
萩の若葉というのは、人間でいえば赤ん坊の肌にたとえることができるかもしれません。いかにも柔らかで触れるのもためらわれる、そんな優しさにあふれています。家の萩はまだ50センチに満たないほどですが、その柔らかい茎が直立したままぐんぐん伸びている。密集したままです。
山笑う。遠景色はいろんな緑であふれていますね。1週間ほどのあいだに見慣れた山々がまた一回り大きくなったような気さえします。春たけなわですね。当地の田植えは6月の下旬頃。2ヵ月も離れてますね。
何気にコメントしましたが今朝になって「予定調和」という言葉が気がかりで調べてみました。
何となく意味を理解したつもりでいましたが哲学的な言葉であると知りました。
一度機会があればこの言葉使ってみたいですね。
この句に似合ってるかどうか言葉遊びかもしれませんが、新芽の頃と盛りの頃との落差が大きすぎて、その不思議さを言いたくて使ってみたのですが。
予定調和ですか、なるほど。萩のしだれはいいですねぇ。冬には丸坊主だったのが瞬く間に伸びてしだれかかってくる、小さな花との調和も大好きです。
「乱れ萩」という散り乱れた風情をいう季語もあったり、「一家に遊女も寝たり萩と月」など、盛りあるいは盛りを過ぎても萩にはなんとなく妖艶なイメージがあるものです。芽吹き間もない頃の楚々としたものとの差があまりにもあるように思いました。
「無」から「楚々」、そして「妖艶」へ。これが最初から約束されている、なるべくしてなる摂理だというのか、萩は。そんな感激を言いたかったわけです。
萩若葉、いいですね。
萩の花が咲いている時期は、しっかり見て楽しむのに、若葉の季節は他に心奪われて全然注意をはらっていませんでした。
今日は朝から雨で、南風も強く、散歩は無理ですが、明日お天気が回復したら、萩若葉を見にいってきます。
今頃は雨露をのせた重みで若い枝も枝垂れかけているかも知れません。露を払った直立したものを見るととても秋の姿は想像できませんよ、きっと。