雨の槻木広場跡

刈株ももろとも水漬く春田かな

今日は冷たい雨だった。

飛鳥寺西方遺跡発掘で、槻木広場跡とされる場所から建物跡が発見され、これが仮設的な構造物だというので壬申の乱の陣跡あるいは使節団の饗応施設ではないかという。
まわりはすべて田圃で刈り株も畦に鋤きこまれて折からの雨に浸かっているが、田も周りの土も雨で黒ずんで飛鳥の里は春の雨に包まれている。

だが、さすがにこの天候では見学者も少ない。受け入れ側も心なしか手持ち無沙汰のようだった。

“雨の槻木広場跡” への2件の返信

  1. 次々と遺跡が発見され古代史フアンには堪らないでしょうね。大化の改新~壬申の乱までけっこう勉強したのですがやはり土地鑑がないのが弱点です。飛鳥地方、早く行ってみたいです。

    1. 1/18付け「歴爺・歴婆」のコメントにも書きましたが、現場に白いテントが見えたので、飛鳥寺西方遺跡発掘現場だろうと思っていました。ここは、何年かかけて飛鳥川に至るまでの田を発掘して遺跡の規模や構造を確認する作業現場です。
      毎年成果が発表されており、早くも次回の報告が楽しみです。
      飛鳥は丸一日歩いても回りきれないくらい見どころが広がっています。吉野の桜を見て一泊、翌日は飛鳥。というのが最短の日程でしょうか。

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