太公望

釣堀の中り遠のき春の昼

釣り好きは概して気短である。

あるいはマメな性格といっていいだろう。気長な人に釣が好きだとか、うまいという人は聞いたことがない。
何故なら、釣というのは状況に応じて手を替え品を替えしなければなかなか釣れるものではないからだ。当日の魚のご機嫌に合わせて、餌を変えたり、仕掛けを替えたり、考えられる手はすべて打たないといけない。
これが、気長な人の場合、いったん仕掛けを沈めたらずっうとそのままただ待つだけのことが多い。浮子がびくともしなくとも、ただひたすら待つのである。
釣りのうまい人というのは、駄目だと思ったらすぐに仕掛けをあげて別のポイントを探ったり、深さを調節したり、とにかく一投ごとに何かを変えて様子を探っているのである。
だから集中力だってそんなに何時間ももつわけはない。
ましてや陽がすっかり昇り中りでも遠のいたりすれば、このうららかな春日和りにさそわれて、釣果などどうでもよくなりはしないだろうか。

“太公望” への8件の返信

  1. 川べりで早朝から釣り糸を垂れている人を散歩の途中よく見かけます。
    気の長い人だな~と思っていましたがどうも逆のようですね。
    釣果よりも手替え、品替えその過程がおもしろいのかもしれませんね。
    この所毎日ビオトープからウシガエルのグロテスクな鳴き声を聞いています。
    田舎とは大違いです。

    1. そう、釣りは釣れることも大事ですが、自分の思うとおりに釣れたときの喜びのほうが大きいかもしれません。

      たしかに。河鹿とウシガエルでは大違いですね。鶯と烏みたいな差かな。

  2. なるほど、釣ってそういうものなんでしょうね。納得です。私はどうも釣りが苦手です。まめじゃないですから。それに不器用なので餌をつけるのが億劫。釣り糸がこんがらがったり、引っかかったりしたらもうダメ。お手上げです。でも虫捕りなんかは好きですから狩りの面白さはよく分かるのですがね。

    1. 舟の場合は多少は釣りやすいかもしれません。船頭さんがあれこれ声をかけてくれますからね。それに場所だってあちこち動いてくれますから、わりあいに能動的な釣ができるんじゃないでしょうか。これからの舟は夜釣り。メバルとかいいんじゃないでしょうか。

  3. 魚釣りも久しく行っていないですね。
    釣り道具もお蔵入りのままで、泣いているかもね。
    釣り堀のヘラブナ釣りや、江ノ島沖の海釣りまで、会社の釣り好きの仲間と一緒にひところは良く行ったものです。
    獲物がかかった瞬間の竿に伝わる獲物の引きの感触がたまらないですね。
    釣りに行った夜は寝ても波の揺れが目に焼き付いていて、ふわふわと波に漂っているような感覚が残っています。

    1. こちらに引っ越してくるとき、釣り道具もゴルフ道具もみんな愛着があるんですが捨ててきました。二畳分くらいのスペースが空いた感じです。そろそろ「断捨離」を徹底しないとね。

  4. 中学生ぐらいまでは父親と一緒によく釣りに行きました。
    もちろんハゼやキスやコチといったような小さな魚釣りです。
    小さくてもぐいっと引くのが面白かったです。
    家に持って帰って、母に料理してもらうのですが、小さいので面倒がられました。
    懐かしい思い出です。

    1. 今思えば津の海はキスやコチの宝庫でしたね。とくにコチは天麩羅にすると魚の天麩羅では最高なのに、当時は捨てていました。メゴチだって釣ったことあるけど、グロテスクに思えて放流してしまったのが惜しい。

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