季語だらけ

春昼や姫踊り子に銀の蜂

姫踊り子草に珍しい蜂が飛んでいる。

一つはやや赤みがかったやつで、もうひとつは全身が銀色の産毛で覆われたやつ。二つとも見たことがないものだが、とくに興味を引いたのは銀色の方だ。どうみても蜜蜂の仲間のようで、顔を近づけても襲ってくる気配はないし、こちらの気配にも動ぜずマイペースで姫踊り子草のあの小さな花に顔を突っ込んでいる。
「銀色 蜂」で検索してもそういう色をした蜂のことは何にも出てこない。
不思議な春昼の出来事の一コマであった。

小出し

春の昼テレビ見るともなしに点き

気がついたら一日中テレビがついていた。

テレビの前にすわっていなくても、刻々変わるコロナ情報が聞くともなしに耳をすり抜けてゆく。
今日は一人10万円の給付が補正予算練り直しでやるらしいこと、緊急事態宣言の全道府県拡大がやっと検討されてきたらしいことが流れてきた。
このように、打つ手が小出し、小出しの連続でさっぱり展望が開けないのは何とかならないものか。

この時期九段へ

春昼のあみだに被る帽子かな

明日は27度になるらしい。

今日だって外でちょっとだけ体を動かしただけで汗ばんできた。
かと言って、家の中に入ればいっぺんに汗が冷えてきてしまって寒く感じる。
体温調節の難しいシーズンだなと思うが、これも歳のせいかもしれない。

10日になろうとしている熊本の車中泊、避難所生活の被災者に比べたら、なんとも間の抜けたことを書いている。
しかし、「みんなで渡れば怖くない」とばかり、こんな時期に九段で集団参拝して胸を張っている議員に比べれば幾分ましだろうけど。

眼中になし

春昼の古墳の墓と思はれず

のどかな春の日。

こんもり盛り上がった墳丘がむき出しになって、単なる草の丘となってみれば、ハイキングのお弁当を広げたり、ボール遊びに興じたり、段ボールのすべり台となったり。
家族連れ、グループにはかっこうの遊び場である。
古代、ここが豪族の墓であったことなどまるで眼中にないようである。

太公望

釣堀の中り遠のき春の昼

釣り好きは概して気短である。

あるいはマメな性格といっていいだろう。気長な人に釣が好きだとか、うまいという人は聞いたことがない。
何故なら、釣というのは状況に応じて手を替え品を替えしなければなかなか釣れるものではないからだ。当日の魚のご機嫌に合わせて、餌を変えたり、仕掛けを替えたり、考えられる手はすべて打たないといけない。
これが、気長な人の場合、いったん仕掛けを沈めたらずっうとそのままただ待つだけのことが多い。浮子がびくともしなくとも、ただひたすら待つのである。
釣りのうまい人というのは、駄目だと思ったらすぐに仕掛けをあげて別のポイントを探ったり、深さを調節したり、とにかく一投ごとに何かを変えて様子を探っているのである。
だから集中力だってそんなに何時間ももつわけはない。
ましてや陽がすっかり昇り中りでも遠のいたりすれば、このうららかな春日和りにさそわれて、釣果などどうでもよくなりはしないだろうか。