春障子学芸員の声洩れて
障子の中では古代雛の展示が行われている。
法華寺では、歴代門跡の雛人形が公開中だ。
普段非公開の座敷は広く、明かりは乏しく障子からのものに依存しているので、それほど明るくはない。柔らかい光が人形の表情に陰影を与えて、雅な印象を深める。
何か聞きたいことがあれば、縁側に正座した学芸員とおぼしき人に聞けばいい。
ここでも、雛の調度が特徴的で、ほかには幼い庵主のために用意されたとおぼしき人形や遊び道具なども展示されていて、普段うかがえない尼寺の暮らしをかいまみることができる。
溜息をついたのち、外に出れば庭園は椿が咲き誇り、囀りが絶えない。
敷地が広いこともあって外からの雑音も届かず、見学の余韻に浸りながらの散策にはちょうどいい。
お寺に雛人形とはびっくりしました。そうか、法華寺は国分尼寺でしたね。それでお雛さまですか。なるほど。仏道に励みつつも女性のお祭りは大切にする。歴代そうしてきたのでしょうね。
考えてみれば、尼寺の門跡というのは斎宮さんみたいなものでしょうか。志願してなれるものじゃないし、相当な覚悟がいったでしょうね。
雛祭りはいっときの安息だったのだと思います。
由緒のある尼寺の雛かざりは、丁寧に保存、管理されているのでしょうね。
公共の場所に飾られている雛人形は、その置く位置や順序が正確でないことや、笛やら扇やらが欠けていたりして、なんともしまらない感じがすることもあります。
華やかな感じがするだけで、よしとするべきですかね?
一般に公開されるのは明治以降のものが多いのですが、なかには江戸時代のものがあって、さすがに古色溢れている感じです。そういう人形の笛が欠けていて、奏する構えの指が残されているのも味があるものです。こんな場合、俳句の世界では「仕る」という表現がよく用いられています。
人形は人に愛されてなんぼのものなので、ただ飾り物として見せるというのはどうなんでしょうね。
好い句ですね。
上句の「春障子」で、目の前に奈良の初春の空気が漂ってきます。
学芸員さんは 何をしているんですかね。
法華寺は、十一面観音様を見るためにだけでも訪れる価値が
ありますが、歴代門跡の雛人形が公開中、と。たいへんな
人出でしょうね。雛といえば、奈良町のつるし雛を思い出します。
姪っ子が奈良町の音声館にいますが、会いたくなったなぁ。
人は意外に少なくて静かに見学できますよ。
文机の上には資料がいろいろあるので「学芸員」としましたが、実のところは監視要員かもしれません。
話しかけられない限り、縁に正座したままです。障子を背負っていて、此方から見ると逆光で、まるで黒子のようです。
今日もすぐ近くまで行ってきました。
姪御さんはいいところにお勤めですね。まだ一度もお邪魔したことないので、機会を見て訪問しようと思います。