草の行方

草刈るや厩転じて機部屋に

古民家巡りをしてみた。

もちろん、もう今では誰も住まない文化財となっているのだが、どれも地域独特の工夫がこらされた建物で、間取り、壁、屋根、どれをとっても昔の暮らしを彷彿とさせる。
江戸から明治へと文明開化の波が地方にも押し寄せてくるとともに、暮らしぶりにも変化があらわれ、さまざまな改造も行われたようである。
農事の大事な伴侶を家の中に飼うという、まるで遠野物語に出てくるような暮らしぶりも垣間見たが、これとて明治になってからは機織りの部屋と化していた。
農業中心から、絹などを織る副業も盛んに行われたのであろう。

畦の草刈も、今ではエンジンをうならせて粉々に刈りとってしまう。かつて牛馬に与えていた草、今はいったいどこへ消えるのであろうか。

“草の行方” への2件の返信

  1. 古民家とまではいかないが故郷では蔵付きの大きな農家の住まいの多くが空き家になっている。
    先週三重で会った友の実家は子どものの頃、牛や蚕を飼っていたし当然桑畑も持っていた。
    厩は玄関脇にあり大切に扱われていたっけ。
    田植えの後も草刈りや田の草取りなど農家の仕事は果てしなく忙しかったように思う。
    農繁期明けの日待ちという一種のお祭りのような行事が楽しみの一つであった。
    そういえば小中学校の時農繁期休みと言うのがあり学校は数日間お休みになったような記憶がある。
    そういう中での主婦の仕事も又大変な重労働であったろうとお互い亡き母たちを偲んだことである。

    1. 県の民族博物館へ行けば、昭和30年ころまでの農具、山の道具などその昔を彷彿とさせる懐かしい道具にあふれています。
      吉野山中の建物などは、河原石を載せた檜皮葺、破風の雨除けなど独特な建物様式、厠と厩が一体になっている、など、熊野の山中の昔を思い浮かべました。
      土間の石臼など、使い込まれた道具や用具の美しさがそこにはありました。

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