草の行方

草刈るや厩転じて機部屋に

古民家巡りをしてみた。

もちろん、もう今では誰も住まない文化財となっているのだが、どれも地域独特の工夫がこらされた建物で、間取り、壁、屋根、どれをとっても昔の暮らしを彷彿とさせる。
江戸から明治へと文明開化の波が地方にも押し寄せてくるとともに、暮らしぶりにも変化があらわれ、さまざまな改造も行われたようである。
農事の大事な伴侶を家の中に飼うという、まるで遠野物語に出てくるような暮らしぶりも垣間見たが、これとて明治になってからは機織りの部屋と化していた。
農業中心から、絹などを織る副業も盛んに行われたのであろう。

畦の草刈も、今ではエンジンをうならせて粉々に刈りとってしまう。かつて牛馬に与えていた草、今はいったいどこへ消えるのであろうか。

髑髏マーク

電気柵巡らす畦の草を刈る

もうこの時期から獣害を考えなければいけないのか。

田の周りには髑髏マークの「電柵注意」との標識が立っていて、人間はその中で電動草刈り機を振り回している。
何とも不思議というか、滑稽な光景である。歳時記にある季題「草刈」というのは、牛馬の餌や肥料のために畦などの雑草を鎌で刈ることを言うが、今では牛馬に変わり耕運機、田植機の時代である。刈った草など持ち帰る必要もなく放置されたままである。言うなれば死語に近い季題であるが、「夏草」「草茂る」などは時代変わらず生きている。

現代は半日もあれば田の数枚も刈ることができ、農作業はずいぶん楽になったのであるが。

ミニ公害

休日の草刈る音の煩わし

住宅地のあちこちはまだ更地のままである。

だからどの区画も年に2度ほどは草刈りが行われいて、たいていは不在地主なので委託業者が行うケースが多い。なかには土地区画整理事業の保留地として元地主の所有のままだったりした場合は、たいていが農家なので他人に任せず自ら行うこともあるようだ。
問題はあの煩いエンジン音である。業者さんというのは平日に行うから我慢するとして、兼業のせいかどうか農家地主の日曜の草刈りは迷惑千万なのである。
この時期、窓を開けることも多く埃が舞い込むことや、たいていは若いサラリーマン世帯なのでその安息を阻害していることや、なかには小さい子供さんの昼寝を妨げたりしてしまうことに思いが及ばないのだろうか。

御廟

清域に唸るエンジン草刈らる

俳句会で主宰選ボツになった句。

今日主宰選の結果が葉書で届いた。
実際の投句は、

エンジンの響く聖域草刈らる

鑑真御廟の静謐な空気を破って、草刈り機のエンジン音が鳴り響く。そのギャップを表現したかったのだが。

明るい墳丘

墳丘の一ト日費やし草を刈る

新緑を求めて馬見丘陵公園へ。

チューリップが終わり、夏の花までには間があるちょうどこのときは、どの墳丘も新緑に覆われて吹く風も心地よい。
ここは丘陵公園だから墳丘のうえも探索できるようになっていて、樹木も少なめでほとんどが落葉樹である。一般に陵墓というのは立ち入り禁止だし、だいたいが常緑樹に覆われっぱなしになっているのと比べれば、すこぶる明るく、かつ見通しがよいのが特徴だ。
馬見丘陵カタビ古墳群の墳丘
一般の人が自由に立ち入って親しめるよう日頃からよく整備されているようで、今日は直径80から90メートルくらいの墳丘の草刈りをしているようだった。これくらいの規模ともなると草刈り機を使うとはいえ、後の始末なども考えると1日仕事くらいにはなりそうである。ほかに100メートル級の墳丘がいくつもあるので、全部を刈り終わるのはまだまだ先のように思える。