氾濫におののく去年の災禍かな
今日午後、台風4号が近畿地方を足早に駆け抜けていった。
スピードを上げてくれたおかげで、紀伊半島南部のひとたちもほっと胸をなで下ろしたことであろう。まことに昨年は災難の年であった。100年に一度あるかないかの出水で、前回は村を捨て北海道に新天地を求めた人たちがいた。新十津川町である。
すでに次の台風5号も発生しており、今年はなんだか台風が多い年になるような予感がする。去年の傷跡がまだ生々しい地区にとっては、永田町の混迷ぶりよりもずっと心労を煩わせる問題であろう。
6月の台風は8年ぶりとか。
夕べはまんじりともしないで夜が明けました。
実家は雨漏りがするし、避難勧告が出たりして老夫婦はどうなることやらと。
速いスピードで通り過ぎ大きな被害もなかったようでやれやれです。
これから梅雨前線や台風やら心配な季節です。
どうかお手柔らかに願いたいものです。
明日また台風が来るらしいです。
三重の病院に行く日と重なってしまった。どうするかなあ。
この台風すごいスピードで珍しいルートを駆け抜けていきましたね。でも首都圏は夜中だったので交通の混乱もさほどなかったようで、、、、もう関係ないので楽チンなもんですが。
そうですね、去年の紀伊半島は大変でしたね。街道をゆくで司馬遼太郎がすごく思い入れを持って十津川のこと書いてますが、あの辺は考えるだけで大変なことが分かります。尤もボクは紀伊の山道、熊野古道など行ったことないんですが、、。
「奥の細道」 6月20日は、
16. 笠島はいづこ五月のぬかる道 - 笠島
百人一首51. かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを
この藤原実方、この人の話は多分百人一首の中でも出色だと思う。
一条帝の「陸奥の歌枕見てまいれ」、この言葉色んなところで使ったものです。
芭蕉がお墓に行けなかったところから回想して映画作れば面白いだろうに。
17. 武隈の松みせ申せ遅桜 - 挙白
18. 桜より松は二木を三月越シ - 武隈の松
旅に出るにあたって訪問すべき歌枕を弟子・関係者と語り合ってた証し。
これは俳諧そのものでしょうね。
かくて、被災地にかかりつつありますね。。
「陸奥の歌枕見てまいれ」
そなたは陸奥に左遷だ!!とはおっしゃらなかったのですね。
天皇様も何とも風流を解されるお方でしたのね。
一条帝は道長と並び平安王朝文学を語る時の最重要人物です。百人一首でもNo.51からNo.64あたりまでの作者は一条帝と何らかの
関わりがあります。とりわけ源氏物語・枕草紙は彼抜きでは語れません。この辺を解き明かした名著が「源氏物語の時代」一条天皇と后たちのものがたり(山本淳子)(朝日選書)です。機会あればご一読を。。