そばへして雷の夕立きたりけり
贅沢な天気の日だった。
ようやく雨が上がって晴れたかと思うと急激な気温上昇。さすがにこれは体にこたえる。
鉢の植物がいっきに元気がなくなるのもこんなときだ。雨をたっぷりふくんだまま、いわゆる高温多湿に見舞われると繊細なものにかぎって萎れてしまうことがある。蒸れによわい仲間がそうである。
そして、夕方文字通り夕立があって、その前触れがこの時期としては長く続く雷が上空にとどまった。その夕立もいわゆる日照り雨で、その極端な差は狐の嫁入りというようなやさしいものではない。
夕方の斜めからさす光が家々の壁に突き刺すように明るいのに雨は土砂降り。盆地のこの一画だけ、スポット的に強い雨が降り続けて30分ほど。夕方の光だけを残して雨は止んだ。
意外に早く雨が上がり洗濯物もよく乾いた。
雨上がりの後の空気はむっとする気温で車の中の温度も上昇して気持ちが悪い。
今日は気になっていて見損ねた映画、すずめの戸締り。
新海誠監督のアニメーション、アニメって多くの人が携わっているんだな~と改めて思ったことだった。
生きものというのは元来生まれ育った環境とまるで違うところでは淘汰されてしまうものです。
冷涼な環境を好むものにとってはアジア特有の高温多湿な環境では生きられません。それを何とか改良したり、環境を整えて育てるには大変なエネルギーが要ります。地球規模で考えると壮大なムダということになります。
俯瞰してみると、これから地球上の全生物は存亡をかけた生き残り競争になるのです。もしくは地球自体も。
そばへして雷の夕立きたりけり
「そばへして」? だいぶ考えたのですが分からず検索してみると”「そばへ」は「戯へ」でもあり、たわむれ、遊ぶことで、日が射しているのにひとところだけ気まぐれに雨が降る天気雨のことを指す”、と。そうすると、句は『天気雨雷の夕立ちきたりけり』となりますが、ぐっと素人っぽくなります。なるほど、俳句って、言葉の手品使いなんですね。
俳句には古語がそのまま生き残った、俳句独特の言葉、言い回しがあります。
たとえば、「そびら(背中)」「なぞへ(斜め転じて斜面)」「にはたづみ(雨後のたまり水)」とか。
句を数多く読むことで知らず覚えて自分も使うようになるのですが、字数調整などに便利な側面があります。