旨いとてよこせしトマト甘かりし
感覚、とくに味覚においては個人差がある。
とくに野菜については世代間における差が一律的にあるような気がする。
たとえばトマトを考えてみてほしい。
冷たい水に浸したトマトをおやつ代わりに食した我が世代には、今の甘ったるいトマトは苦手ではなかろうか。独特のトマト臭さがあってこそトマトの味だと思うのだが、どうやら若い人たちにはフルーツのような甘さ主体のトマトがいいようである。おかずにするにはどうも甘すぎるのだ。
トマト独特の匂いというものを、生まれてこのかた食べたことのない世代が大半を占めるようになると致し方ないのかもしれないが、昔の味わいを再び得ようとすればもう自分で作るしかないのだろう。
旨いからと若い人からお裾分けいただいたのだが、今風に甘かったのは残念なことである。
全く食欲がない時に毎食トマトと清見オレンジで過ごす日が続いた。
まるで妊娠時のようであった。
今年は何故かどこのスーパーもトマトが高値であった。
箱買いをして何とかしのび今に至る。
今はトマトだけに頼ることもないが昔、子どもの頃に食べたトマトにはまずお目にかかれない。
ミニトマトはともかく大玉トマトまで甘くてはどうもいけません。昔ながらの固定種の種をつないで作るようにしています。今年は四株植えました。大玉は結構難しいのです。保険をかける意味でも。