風あらば屋根打たんかに幟竿
屋根より高い鯉のぼりはらしくていい。
ただし、大きいのはいいが、庭のスペースに比して大きすぎるのもどうかと思う。支柱がわりのロープを四方にしっかり展開できないのでちょっとした風にも竿が大きくしなってしまうのだ。鯉のぼりセットは多分実家からのプレゼントで、贈り主が今までそうであったような感覚で従来タイプのものを用意したとみるが、普通の住宅地では屋根より高い鯉のぼりはやはり無理のようである。
屋根より高い鯉のぼりが2軒並んでいるところがあり、両方が風に大きくしなっている珍しい光景を見た。
今日は東吉野村吟行なので予約投稿です。
昔の田舎には童謡にあるような鯉幟が多く見られました。
いくら大きいのが立派とは言えやはりバランスが大事ですね。
今日は鯉幟が気持ち良さそうに泳げるような爽やかな風の日でした。
東吉野村も五月の風が気持ち良かったのではないでしょうか。
句作も大いに進んだことでしょう、期待しています。
吟行会場は伊勢街道沿いの三重県境すぐ近くまで。天誅組終焉の地だそうで、歌や俳句を村おこしにしている村でした。眼前に高見山の孤峰を見たときは感動しました。春の名残と初夏のさわやかさが同居するすばらしい自然環境で、今が最高のシーズンかもしれません。
鯉のぼり、いいですね。でも余程大きなお屋敷でないと立てられないませんね。小さくても大きく逞しく育って欲しいと心がこもっていればいいのです。日本を背負う子どもたち、頑張って欲しい!
宇陀にも竿が大きくしなっている鯉幟がありました。田んぼが広がる一画に何本もの青竹が、多分孟宗竹でしょう、鯉幟を泳がせているのです。これもワイルドでいいなと思うところがありました。
ああ、二句目は俳句会に投句したくなるような句ですね。
田圃の広がりのなか、青竹に泳ぐ鯉幟、これはいいね。
今の季節の清々しさ、おおらかで自由な風を感じます。
宇多の 良い風景に出会えて、句もいっぱいできたかな?
できた、できた。この季節の深吉野は句材だらけ。山藤、余花、田水張り、畦塗り、代田、etc.大和盆地の田植えは6月だけど、なんとあんな山奥なのにもう田植えが終わったのもあってびっくり。春と夏が同居するようなところで、水芭蕉の群落があるかと思えば、プロペラを広げたような朴若葉、まだ広がっていないハンカチの木、などなどいくつでも詠めてしまうような村です。
つくづくと俳句は机の上ではできないものだと思います。