三輪山につづく国ン中麦の秋
麦秋やここに大和の原風景
もうすぐだ。
盆地を西から東へ、県道14号線の今頃を走ると胸が高鳴る。
今ではあまり見られなくなった奈良盆地の麦畑がまだ残されているところがあるからだ。
県道から西は麦畑で、その突き当たりの三輪山まで、日に日に茶褐色に染まってゆく景色が広がるのだ。
かつて、大和国ン中の今頃は一面麦秋の季節を迎えて、大阪から峠越えするときなどはそれはそれは素晴らしい眺めだったという。
車から降りて手に取ってみると、それは小麦のようだ。穂に触ればつんつんした角があり、それは思ったより固いものだった。
国ン中周辺部には、今でも「早苗饗(さなぶり)」の風習があり、半夏生のときなどでも餅米と小麦粉でできた「早苗饗餅」を饗するところもある。
そう言えば、今麦畑が広がっているのは桜井市で、三輪素麺の本家本元の地にあたっており、小麦と三輪とは素麺の縁でも結ばれてるのかも知れない。
当地でも麦畑はめったに見られません。
先日、潮干狩りに行く途中の西尾市あたりは一面麦畑一色でした。
この光景も子どもの頃の風景に繋がり懐かしい思い出です。
大麦と小麦では全く茎が異なり大麦の麦殻はストロー状になっていて籠細工や工作などでよく遊んだものです。
獲れた小麦を母が一升桝に入れてくれてお隣のお菓子屋さんに持っていき菓子パンに交換して貰ったり。
早苗饗(さなぶり)と言う言葉も久しく聞くことがなくなりましたが農繁期を終えたお祭りのような行事で餡子を入れたお餅のような饅頭のようなものをイバラやミョウガの葉っぱでくるんだ母、手作りの物を食べた記憶があります。
外は雨、雨音を聞きながら様々な思いに浸っております。
年に一度観る文楽の余韻に浸っていた所、一気に60年も前の記憶が甦りました。
経験したくてもできない貴重な思い出、貧乏だったけど何と幸せで贅沢な子ども時代だったと・・・
大麦は「焦がし」の原料でもありますね。「はったい粉」「麦焦がし」は夏の季語。とくに夏だけの食べ物ではなかったような記憶がありますが、収穫時期との関係でしょうかね。
きな粉は生き残ってますが、「麦焦がし」は季語遺産化しつつあるのも時代の流れですね。
初夏の大和路を満喫されているようで何よりです。
写真は見事な麦畑ですね。緑一色の風景の中に麦と竹の黄色。アクセントというものでしょう。「麦焦がし」、ありましたねぇ。懐かしいです。
「夏は来ぬ」の歌どおりの季節です。今外を歩かなくちゃ。そのうち「卯の花腐し」、梅雨入りですからね。
当地の竹は青竹の季節で随分青くなってきました。真っ黄色だったのはつい先日のような気がします。