悲鳴

ものの芽の怒濤にわれも待つたなし

ひと雨で景色が一変した。

雑木山はいっせいに新芽を吹いて薄緑の衣をまとい満開を過ぎた山桜も影が薄い。いっぽう、目を地上に転じると放棄田も野も草たちが萌えて命に満ちているようだ。
こうなると、いろいろサボっていた庭仕事だの、菜園の準備だのがもう待ったなしで腰を上げねばならなくなった。
三ヶ月に一度の歯科健診を済ませると、さっそくの野良仕事。部屋の中ではまだ肌寒い感じだが、外は紫外線も強くて気温もぐんぐん上昇。なまった体が悲鳴を上げた一日となった。

忙しい

約束のものの芽出たり雨はれて

いろいろ芽が出てきた。

植えてからずいぶん時間がかかったが、じゃがいもの芽が吹いたようだ。一部先端が霜に焼けたものがあるが、ものともせずに濃い緑の芽をのぞかせている。
この暖かさでセルに蒔いたネギも髭のように細い芽を出してきたし、いまのところ茄子、トマトの苗も順調に育っているようである。ブルーベリーの芽も動き出した。
今週中にも桜開花があろうかという時分、なかなか忙しい気分になってきた。

ささやき

靴音を聞いてものの芽ほぐれゆく

足もとも目の前も頭の上も芽だらけ。

ありとあらゆる芽が吹き出してきた。歩いていればいろんな芽のささやきが聞こえるようだ。
公園のチューリップだって10センチほど上に伸びた芽がいよいよ開き始めた。
定規にしたがって植えたので、芽の並びようも図ったように等間隔で列をなしていて見事なものだ。
これが来月からチューリップ祭りと称して何万本も咲き誇るのだ。
それまでは散歩する人たちがひっきりなしに通り過ぎて、毎日毎日成長するのを愉しむわけだ。

しのぎ

腐葉土にものの芽出づる林かな
ものの芽の雑木林のしのぎかな

「ものの芽」とはいかにも俳句に似つかわしい言葉である。

草の芽でもなく、木の芽でもない。それらすべてを総称して、春に萌え出るものを言う。
何の芽と言わぬところに俳味が生まれる。
今日は、こんなものの芽もあるという写真を付けた。団栗の発芽である。殻を割った芽は、まずは土にさし込んで踏ん張る足場を確保するようである。芽と言うよりは、根と言うべきか。
昨秋落ちた実がいっぱい転がっていて、それぞれが競うように発芽している。どれも成長するという保証はないが精一杯命を尽くしているのだと思うといじらしくなってくる。

陰り

ものの芽を踏みゆくおむつ揺れにけり

全日空のダイヤが大変乱れているという。

そのせいか、先ほど夕刊を取りに外へ出たとき、今まで見たことのないほどの飛行機雲が東西に流れていて、ざっと数えても4本、そして東西を行き交う機影が各一機。さては、搭乗待ちだった便がどっと夕方になって繰り出して、遅れを取り戻そうとしているのではなかろうか。
いずれも高い位置だから近畿発着ではなく九州や四国など遠距離を行き交う便のようだ。
いつもならこの時間帯は大阪空港などに降りると思われる低空を飛ぶ便が、東からひっきりなしに飛んでくるのに、今日は見当たらない。

どこで聞いたか、飛行機雲が見られるのは天気が崩れる予兆だという。
空だけではなく、最近、陸のダイヤも乱れるトラブルが多いように思う。
日本の力に陰りが兆しているような気がして仕方がない。

五感の春

花の寺木々の芽ぐみの辺り満つ
花の寺名を負ふ木々の芽ぐみけり

奈良は一斉に木々が芽ぐみ始めた。

今日の雨は言ってみれば「木の芽雨」。芽ぐみをさらに促す雨である。
梅も後期に入って満開状態。梅は咲き始めをもって良しとされるが、満開時のむせるような香りもまた梅の楽しみ。
目から鼻から耳から,五感を使って春を楽しもうではないか。