100時間/月?

メーデーの列を落伍の銀座かな

ハイキングにでも来たような気分と言おうか。

そんな人たちが多くを占めるようになって、家族連れで参加する人は多い。
私はと言えば、員数合わせの動員をかけられて参加したものの、生来のノンポリ派だから、シュプレヒコールという前時代的なものや、あのメーデー歌に始まる胡散臭さには馴染めずに、式典が終わって都心の行進に出たのを幸いにこっそり抜け出したのだ。
のちに、労組専従役員となって先導する立場になっても、恒例の祭だからと言って割り切ることはできず仕舞いで、どうしてもあの行事には馴染むことができなかった。
今は、労働組合もずいぶんおとなしくなって、月100時間までの残業ならかまわないとするらしい。これは、月に四回休日出勤して32時間、毎日残業3Hして66時間、そういう働き方になる。
それでなくても、正規雇用、つまり労働組合に守られているはずの人々がおかしいと思わないのがどうかしている。

行く末

メーデーの昭和も遠くなりにけり

今日は5月1日。メーデーである。

テレビのニュースを見ていて思ったのだが、メーデーを取り上げなくなってどのくらい経つだろうか。

まるでメーデーが忘れ去られたような背景には、バブルがはじけて以降労働者間の連携というものが著しくとりにくくなったことが挙げられる。
たとえば、労働者が正規労働者と非正規労働者に分かれたことが、もともと低迷していた組織化率を加速度的に低下させるとともに、賃金や労働諸条件に格差が生じ、さらに正規労働者であっても将来を約束された指定席ではなく、ある場合は正規労働者同士で仕事の奪い合いする形であったりするなど、連携どころかあちらこちらで寸断させられてしまっている。
このような状態では組織としての力を到底発揮しようがない。
かくて労働組合の魅力は色あせ、ますます組合離れが進行してゆく。

かつてメーデーはお祭り的行事として多くの人々が参加した。今はそういうゆとりさえ職場から消え失せたのだろう。